10.「ごめん」という夫にどう接したらいいのだろう

麻央さん絡みのお話が続いて恐縮ですが、私が彼女のブログの中で強く心に刺さったのが最初の頃に綴った「病気になってごめんなさい」という言葉でした。

病気になりたくてなる人なんて、誰ひとりとしていません。
がんになったことは、あなたのせいじゃない。あなたは何も悪くないよ。だから、謝らないで。
確かに「えらいこっちゃー!大変なことが起きたぞ」とは思います。でも、それと謝られるのは別で、家族は本人から謝られるとちょっと辛さが増してしまう……少なくとも私はそうでした。

夫は、何かあるごとに「ごめん」と言っていました。
「ごめん」という言葉に、当時の私はどこかマイナス的なイメージを持っていました。
これから手強いすい臓がんと折り合いをつけてもらうためにも、夫の心の中にあるマイナス要因を少しでも取り除きたかった、という気持ちが強かったです。
だから、私は「やだな~、何で謝るのよ~。○○ちゃん(夫の呼び名)は、何も悪いことしてないじゃーん。そこは、ごめんじゃなくて、ありがとうと言ってよ~」とフザケながら答えていました。

何度言っても「ごめん」と言われるたびに、「ほらー、またごめんって言う~。そこは、ありがとう~~♪」とSMAPの『ありがとう』の1フレーズを歌ってみたり。夫にはずいぶん「ありがとう」を強要をしたな、と思います。

今振り返ってみて、この返答はどうだったのだろう?自分の気持ちを押し付けていなかっただろうか?と思うときがあります。
そんなときに読んだ麻央さんの言葉だったので、「そっか……何はともあれ本人にとっては、ごめんなのか」……ガツンとやられた気持ちでした。
よくよく考えたら、もし私が夫の立場だったら、やっぱり「ごめんね」と言っちゃうと思います。ええ、間違いなく。

夫の「ごめん」は本心だろうし、思いやりだったと思うし、もっともっと深い意味があったような…。しかし、私は言われるのが辛くて、まともに答えていたら泣いてしまいそう。だから、それを誤魔化すように茶化すことしかできませんでした。

こんなとき、何と答えていたら良かったのでしょうね。
「本当だよ、だから○○ちゃんも負けないでね」……うーん、何だか違う。
海老蔵さんが麻央さんに言ったように「何だよ。家族なんだから、ずっと支え合うんだよ」……すごくいい言葉なんですけど、私には照れくさくて、とてもじゃないけど言えそうにもありません。(でも、1回くらいは素直になって言っても良かったかな)
いつもフザケているのが私だったから、明るく「No problem!」とか「全く問題ナッシング!」とニカッと笑って、親指でも立てておけば良かったかな。(注:中指じゃないですよ~ww)

日常のちょっとした会話って、難しいですね。
何気なく放った一言が、励みになることも、刃になることもあるのですから。
あまり神経質になっても、ギクシャクしてしまいますし…。
ドラマのような台詞で「お、今のなかなか良くない?」なんて言葉がでてくるのは、ほぼないです。

言葉も個性。キャラクターのひとつなのでしょう。
だから、あまり「らしくない」言葉や誰かの受け売りを使っても、言葉だけがフワフワ浮いて、相手に届かないような気もします。
どんな言葉をかけたらいいのか……きっと正解というのはないのかもしれません。
そう考えると、夫の「ごめん」は彼らしくて、私が返した言葉も私らしいということになるのでしょうか。

私が言い続けたことで、夫の「ごめん」はかなり減りました。
いえ、私が嫌がっているのを察して「ごめん」を使わなかったのかもしれないです。
しかし、旅立った後にサプライズで残された私へのビデオメッセージは、やっぱり「ごめんね」でした。もしも、ここで改まって「ありがとう」なんて言われたら、私の悲しみは増幅していたかもしれません。「だーかーらーー」という私の突っ込みをあえて狙った?…今はそう思うようにしています。

小林麻央さんご逝去に際して…

小林麻央さんが、天に召されました。
がんがわかって2年8カ月。享年34歳。
麻央さんご自身もそうですが、ご主人の海老蔵さんをはじめとするご家族の皆さん、本当に本当に頑張ったんだろうなと思います。
「頑張った」なんて簡単な言葉で片付けてはいけないくらい、そこにいる誰もが必死にもがいて考えて悩んで、そのなかで楽しいことや幸せなことを感じながら「一瞬一瞬の今」を大切に生きる。

私はがん患者の家族という立場ですが、とても他人事とは思えず、麻央さんのブログをたびたび覗かせてもらっていました。
ブログに綴られている言葉のひとつひとつに共感を覚えましたし、言葉の向こう側に「芯の強さ」「周りへの配慮」「生きたいという心の叫び」を感じられるからこそ、多くの方々に勇気と救い、感動を与えてくれたのだと思います。

言葉に綴ることで、気持ちが晴れることもあります。
整理することもできます。
今、私が夫との時間をブログにしているのも、自分の気持ちを整理するための作業なのかもしれません。
と同時に、夫と過ごした時間は私の宝物で、その宝物を「夫が生きた証」としてをカタチに残しておきたいと思ったためです。
麻央さんがブログを綴っていたのも、そんな背景があったのかな……と勝手ながら推察してしまいます。

お亡くなりになられた今だからこそ、そんなことを言う人は少ないでしょうが、たびたび目にしていた「どうせ、ブログで稼いでいるんでしょ?」という言葉には、激しく抵抗を感じていました。
ハッキリいいます。
それのどこが悪いの?と。
稼いだっていいじゃん、と。
そんなに嫌なら、クリックしなきゃいいじゃん、とかとか。
金銭が絡んでいるかどうかなんて、どうでもいいこと。百歩譲って、たとえブログで収入があったとしても、これだけ多くの人たちに影響を与えたブログは、すごいコンテンツだとネット業界にいるひとりとして言いたいです。

でも、それ以上に嫌悪感を抱くのは、ひとの死にここぞとばかり群がる輩です。(あえて「輩」と書きます)
有名人の方がお亡くなりになると、テレビもネットもやんややんやと大騒ぎ。
夫と同じ時期でいえば、俳優の今井雅之さん、川島なお美さんのとき。昨年、九重親方がすい臓がんでお亡くなりになったときもそうでした。
「こうだったら」「こうしていれば」と私の大嫌いな「たられば論」から、ときには「○○がんはこんな症状」とステージ別でご丁寧に解説していたり、本当にうんざりします。

がんのことをもっと知ってもらうため…という点では、必要な情報なのかもしれません。でも、騒ぎ過ぎ&煽り過ぎる内容はいりません。
親切心なのかもしれませんが、ありがた迷惑なこともある、ということをそろそろマスコミの方々にも気付いていただきたい。報道を観るたびに、そう感じていました。

麻央さんのことでいえば、在宅医療のことが多く取り上げられていた気がします。
海老蔵さんも会見で、次のようにおっしゃっていました。

私は、父は病院で亡くしているので。病院のときとは違う。家族の中で、家族とともに一緒にいられた時間というのは、まあ、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います。(NHK NEWS WEB『海老蔵さん会見 全文』より引用)

これまで過ごしてきた空間で、愛する人たちに囲まれて…本当に素晴らしいことで、理想的な姿だと思います。
実際に、今現在、在宅医療で頑張っているご家族も多いでしょう。
日本の医療も在宅医療をすすめているほどで、40歳以上の方であれば介護保険制度も使えます。

が、我が家のような狭小賃貸では、まずできません。
手すりを付けたり、車いす仕様にしたり、住設備を替えることそのものがNGですから。(我が家の玄関は、車いすさえ入りません)
それに、これは私自身びっくりしたのですが、後に夫が亡くなったことを管理会社に報告したところ「家で亡くなったのか?病院で亡くなったのか?」と必要以上に聞かれ、本当に嫌な思いをしました。(業務上、仕方ないのかもしれませんが)
そんなことを考えると、我が家の場合は病院で看取って正解、だったわけです。

なので「在宅医療は素晴らしい」「こんなにいいことがあるよ~」という杓子定規な報道には、とても違和感がありました。
※麻央さん&海老蔵さんをはじめ、在宅医療の方々を批判しているのではありません。あくまでも、報道の内容です。

在宅医療が、理想的なのはすごくわかります。でも、やりたくてもできない人がいることも現実。
住環境の問題もそう、看病する人員の問題もそう、お金の問題もそう。
麻央さんの場合は、ひとつの例に過ぎません。
それぞれの事情があって、そのなかで選択して折り合いをつけているのですから、今回の報道を見て「病院でごめんね」と凹んだり、自分で自分を責めないで欲しいと思います。

がんの症状も、生活環境も、家族構成も十人十色。
それぞれの考えやストーリーがあって当たり前で、参考にできることは取り入れればいいだけで、比べるものではありません。

応援している人がお亡くなりになるのは、とてもショックで悲しいこと。私自身も衝撃が大きく、いろいろなことを思い出してしまいました。
でも、それをご自身に置き換えて、決して落胆しないで欲しい…心からそう思います。それは、患者さんでも、ご家族の皆さんでも。
シンドくなりそうだったら観ない、という選択もアリなのですから。

最後に、小林麻央さんのご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

エア銀婚式~この25年を振り返ってみる

またまた久しぶりの更新です(汗)
ちょっと油断していたら季節はすっかり初夏となり、5月24日になっていました。
おかしいなぁ、月に3回ブログを更新するんじゃなかったっけ?と、自分突っ込みしておきます。

ところで、とっても個人的なことですが5月24日は私たちの結婚記念日。
正確には結婚式を挙げた日で、入籍したのは7月に入ってから。
入籍するのを忘れて慌てて役所に行った、というマヌケなエピソードもいい思い出です。

結婚したのが1992年なので、今年でちょうど25年。
銀婚式を迎えたわけですが、夫はもうここにはいません。
さすがに去年は、目の前のことをやるだけで一杯一杯。そんな余裕はなかったですが、銀婚式となる今年は私にとって特別なもの。

すい臓がんがわかったのが、一昨年2015年3月。
あと2年で銀婚式なんだよ。お願いだから、せめて銀婚式をふたりで迎えさせて…。
何度も何度も神様にお願いしました。が、人生そう都合よくできてないですね。
ええ、「ぼっち銀婚式」ですよ。

この25年、いろいろなことがありました。
結婚と同時に、地元の群馬で一緒にお店をやったこと。その経営がうまくいかなくて、お店を閉めたこと。
一度は群馬に帰ったものの、都会のネオンと夢を求めて再上京したこと。
夫婦保険を勝手に解約されたことに私がブチ切れて、離婚騒動に発展したこともありました。
夫も私も束縛されるのが大嫌いなタイプ。
あまりにも放ったらかされた私は、不良に走ったこともありました。(←ここは、あまり突っ込まず…そんなこともあり、私は決していい妻ではないのです…汗)
20年以上も夫婦をやっていたら、それはいろいろあります。だからこそ、一緒に過ごした270日は特別な時間になりました。

夫と私は、同じ射手座とは思えないくらい真逆の性格。
冷静沈着で無口な夫に、猪突猛進でおしゃべりな私。
お互いがお互いのないものを持っていた、ということもあり、アタマに来ることはあっても、夫のことはずっと尊敬していました。
それに、こんな暴れ馬のような私をコントロールできるのも夫しかいないでしょう。
そう考えると、私はずっと夫に支えられていたんだなぁ、と思うのです。
もっと言えば、亡くなった今でも支えられている…そんな気がして仕方ありません。

ふたりでお祝いした最後の結婚記念日は、このケーキを食べました。

チョコレートとかケーキとか甘いもの大好きな夫は、右上のミルフィーユを選んだような気がします。
毎年、結婚記念日とお互いの誕生日はケーキやお寿司など、ささやかながらもちょっとしたものを買ってお祝いするのが恒例だった我が家。
「これ美味しいよ~食べてみる?」「うん、ウマい。これ、食う?」「うん、少しちょうだい」…いつもと変わらない普通の会話も、すごく愛おしくて、当時を思い出すだけで涙が出てきます。

そして、今年の結婚記念日。
「ぼっちだけど銀婚式だもんね。さてと、ケーキでお祝いしよっと」…と一度は外に出ましたが、あいにく雨が降ってきてしまい、あえなく撃沈。

「俺は、こっちがいい」という声が聞こえて(ウソです)、お迎いのセブンスイーツにしてしまった、という安い女でごめんなさい。

やっぱりダメですね。
たとえお供えしたとしても、実際に食べてくれるかそうでないかの違いは大きくて、「最終的に自分が食べるのだから、何でもいいや」と妥協してしまうダメダメっぷり。
きっと夫も空から、「あ~ぁ、また面倒くさがってるし…」と苦笑しているかもしれません。

それにしても、今年はよくアイスを食べます。
これまでアイスをあまり食べなかった私が…です。
父が亡くなったときは、大嫌いだったおはぎが急に好きになりました。
きっとアイス大好きな夫だったので、私の肉体を通してアイスを欲しているのでしょうか。

私の肉体でよければいくらでも貸しますけど、くれぐれも度を越さない程度に…そこんとこ、ひとつ頼みますよ(笑)

9.勇気をもらうことも落ち込むこともある、「がん闘病記ブログ」との関わり合い方

前回の続きにもなりますが、ネットでがん情報を探しているとたくさんの方々の「がん闘病記ブログ」に出会います。その多くは患者さんご自身によるものだったり、支えているご家族のものだったり。それぞれの立場での心境や治療のリアルな経過などは、お役所や病院が公開しているサイト以上に参考になることが多く、私自身も役立たせていただきました。

なかでも、余命宣告を受けた方が、その余命を何年も超えてお元気に過ごされているブログは、私にとっての希望でした。お会いしたこともなく、お話もしたこともない方々だとしても、同志というか仲間というかどこか身近な存在に思えて「ああ、良かった」「すごい、すごい」と素直に嬉しい気持ちになります。そして、大きな勇気を与えてくださいました。

その一方で、「がん」という病は「死」が関係することも多く、どんなに頑張っている方でも悲しい結末を迎えられることだって少なくありません。それも現実、宿命なのでしょう。ましてや、「治療をしても余命1年」の「すい臓がんステージ4b」という宣告を受けた夫です。それでも、あえて頭の片隅に追いやって「考えない」「あきらめない」と無理矢理遠ざけていた「死」が、ブログを読むことで急に現実となって、夜中にどよーんと落ち込んでしまう日々もありました。

でも、私の目の前にいる夫は少し痩せたけれども、普通に会話ができるしこれまでと変わらず元気なのです。
胃空調バイパス手術をして、食事もできるようになり、これから治療を頑張ろうとしているのです。
状況が状況だけに、心のどこかで夫自身も「死」を意識することもあったでしょう。でも、それをおくびにも出すこともなく、弱音も一切吐きません。

それなのに、一番身近にいる私がクヨクヨしてどうするの?
「まだ何も勝負していないのに、勝手に俺を殺すんじゃない」と怒られちゃいそうです。

ですので、「ここから先のお話は、あとで読ませていただきます」とページを閉じることにしました。
他所様のブログを読んでいると、何とな~くですが、いい状況かそうでないかがわかってきます。表現として適切でないかもしれませんが、自分たちが置かれているそのときそのときで「いいとこ取り」をさせていただく、という感じでしょうか。

本音をいえば、その方がどうなったのか……ものすごく気になります。気になるのですけれども、それを読んでショックを受けたり、落ち込んでしまうような精神状態なら、「まだ読んではいけない」ということなのでしょう。と、自分自身をコントロールするように心がけました。

今は、スマホを持っていればいろいろな情報が手に入ります。患者さんご自身がブログをアップできるのと同じように、良くも悪くもいろいろな情報を目にすることも可能です。しかし、情報によって気持ちが揺れ動いてしまう私のようなタイプの方は、ときには「見ない」という選択もひとつの方法なのかな、と思います。ですから、このブログをお読み下さっている方も、ぜひ「いいとこ取り」をしてくださいね。「これはちょっと…」と思うときは、迷わずスルーしちゃってください。

ちなみに夫は、いいのか悪いのか…普段から「ググる」という習慣がないうえに、「目が疲れる」といって画面の細かい字を読むのを嫌がるようなタイプでした。タブレットなら文字も大きくていいだろう、と買ってみましたが、「邪魔だからいらない」と返してきたくらい超アナログ人間です(笑)

そんな夫でしたが、眠れないときは病室のベッドで「すい臓がん」を検索していた夜もあったのでしょうか……。今となっては確認するすべもありませんが、そこは神のみぞ知る、ということにしようと思います。

8.巷にあふれる「がん情報」とどう向き合っていくか?どう選択していくか?

長いこと更新していなく、気付けば2017年。しかも、1月が終わろうとしています(汗)
実は、年頭に「このブログ記事を、月3回はアップする」という目標を掲げていながら、今日は1月30日。ヤバい…と慌てて書いているわけですが、今年はもう少し更新頻度を上げたいと思います。……と、前置きはこのくらいにして。
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今回のテーマは、ネットでがん情報を収集するときの注意点について、です。
予定では、もう少し先でやろうと思っていましたが、昨年発覚した某キュレーションサイトの医療情報問題。これによって、ネット情報の真偽が問われることになりました。

ちなみに私は、これまで美容を中心としたライター業をしている関係で、日頃から情報収集をしています。そのなかで、「それって本当?」「その根拠は?」と裏を取ることも習慣になっていて、一般の人より薬機法(旧薬事法)の知識をもっていると自負しています。サプリメントや健康食品を扱うこともあるので、身体のメカニズムや栄養素の勉強をする機会も。ですから、ネットの情報のなかに「いかにいい加減で」「無責任な情報」が氾濫しているか、という現実は把握していました。

そして、夫のがんが発覚して、私が毎日やっていたのはがんの情報収集。
がんの治療は「情報戦」などともいわれていますが、病院から帰ったらパソコンの前にかじりつき、気付いたら朝になっていた…という日も少なくありません。そのなかで感じたのは、「なんて、胡散臭いがん情報が多いのだろう」ということでした。

「がんに有効な情報があれば何でもしたい」と、わらをもすがりたい患者さんや家族の気持ちを食いものにする「がんビジネス」。
信じる者は救われる、という説も一理あると思いますし、それらを選んでいる方々を非難する気もありません。それに、医師のなかでも、「抗がん剤は百害あって一利なし」とか「私は○○をオススメしますよ」など様々な意見が分かれているいることも事実。がんという病は、それだけ難しくて、解明されていない部分も多いのが実態なのでしょう。

であれば、お金を払う書籍ならもう少しまともな情報が得られるのでは…と本屋さんへ行けば、『抗がん剤は効かない』という近藤誠先生の本の隣には『「抗がん剤は効かない」の罪』と勝俣範之先生の本が。その延長線上に、梅澤充先生は『間違いだらけの抗ガン剤治療』とおっしゃいます。ええ、わかりますよ、本を売るためには多少キャッチーなタイトルがいいことも。それが戦略のひとつでもあるのですから。でもね…

調べれば調べるほど、ええええ!?ちょっと、ド素人の私は一体何を信じたらいいのよ~!と頭の中が混乱するばかり。
それに、実際問題として「本をじっくり読み比べてから決めよう」なんていう余裕もありません。何をするわけではないものの、毎日自宅と病院を行き来するだけでいっぱいいっぱい。比較的時間の自由がきくフリーランスの私でもこんな調子なのですから、フルタイムのお仕事をもっている方はどんなに大変かとお察しします。

そうなると、どうしてもネット情報に頼るのが手っ取り早いのですよね。あとは、その情報をどう自分自身で精査して選んでいくか…もうこれしかない、と思いました。

以下に挙げたものは、あくまでも私の個人的な判断基準ですが、、、

・「末期のがんが治った」「医師が見放したがんが消えた」といっている情報はスルー。気になっても斜め読みのみ
「治った」「消えた」…患者さんにとっても家族にとっても希望の言葉です。そこに賭けてみたい、という想いも痛いほどわかります。でも、それがサプリメントや健康食品だったら要注意。薬機法では、「治った」「消えた」は違法の表現なのですから。

法律さえ守れない会社の健康食品を信じることができますか?しかも、値段がアホみたいに高い。なかには、「○○大学△△先生が開発に携わって…」とか「○○大学の研究によると…」とか、もっともらしい開発背景を書いている企業もありますが、そこまでやっていてなぜ法律にはゆるいの?と突っ込みたいところです。

・患者の体験記を装った記事風広告は完全スルー
私自身、この類のものに何度が騙されそうになりましたが、ある意味よくできているものもあるため注意が必要です。患者さんの体験だと思って読みすすめていくと、実は広告でした~というパターン。上で書いたように、法律上「言いたくても言えない」ことを体験談として語らせよう、というわけでしょうが、実はこれもNGです。

まず、記事の最後に「私が飲んだのはコレ」と健康食品など企業のサイトにリンクしているようなら、「怪しい」と警戒した方がいいと思います。それに、リアルな体験談の割には最後のオチが雑、という特徴も。ここで「ああ、真剣に読んだ私がバカでしたー」となるのですが(笑)

「奇跡のドリンクやサプリ」に出会うまで、その内容はリアルでやたらドラマティックに書かれています。が、「コレを飲んだらあ~ら不思議」と言わんばかりにざっくとした内容。そもそも人の紹介だか何だか知りませんが、そうそう一発で「奇跡のドリンクやサプリ」に出会えることからして嘘っぽい(笑)アレも試して、コレも試して…くらい、あると思うのですよね。それに本当に患者さんが書いている体験記でしたら、具体的な検査数値や飲んだうえでの変化とか、いろいろ書くこともあるでしょう。でも、そもそも嘘だし、データもないから書けないんだよね…と心の中でつぶやいてしまうのでした。

・都合の良い、甘い言葉が並べられているサイトもアウト
「安心」「安全」「必ず」「絶対」「知らないと損」など、消費者にとって都合が良い言葉、煽るような言葉が並べられていたら、それもアウト~!まず、これらの言葉も、薬機法上すべてNGの表現なのですから。「あなたは騙されている」と言っているあなたこそが、騙そうとしていますよね?「甘い言葉には罠がある」というくらい、疑った方がいいかと思います。

もちろん、何を選択するかは人それぞれ自由です。
もう一度いいますが、上記に書いたことは私の判断基準のひとつに過ぎなくて、考え方もみんな違って当たり前だと思います。なかには、私がスルーした健康食品やサプリを飲んで、本当に良くなった方もいらっしゃるのかもしれません。でも、「絶対大丈夫!」と妄信したり、偏った治療に繋がるのは危険なことだな、と感じます。

それに、現代の技術をもっても、お肌にできたシワやシミをなくすことは簡単ではありません。私はよく、「長年かけてなった状態を元通りにしたいと思っても、できることとできないことがある。仮にできることでも、そうなったのと同じくらいに時間がかかる(プチ整形などは別として)」と言っています。ましてや、それが「がん」なのですから、そうそう簡単で楽な方法なんてない、と思っています。

当事者や家族にとって夢のようなフレーズは、確かに心が揺れます。でも、だからこそ冷静に考えて、吟味しながら少しでも後悔のない選択をしていきたいものです。

7.手術当日、お姑さんの強さを見て知るそれぞれの役割

手術当日は、お義母さんとお義兄さんが田舎から出てきてくれました。
4月1日10時~手術でしたので9時に直接病院で…という段取りでしたが、8時前に携帯が鳴って「もう着いたよ」……ええええ!?着の身着のまま大慌てで私も病院にダッシュです。こういうとき病院が近いと、助かります。

夫が無口ということはすでにお話ししてきましたが、お義母さんもお義兄さんも口数は多くない人。そこにいた誰もが心配で仕方なかったのでしょうが、シーンと静まり返っているのも居心地が悪いものです。ふと夫の足元を見ると、血栓症を予防するため医療用の弾性ストッキングを履いていました。

「ぷっ!バレリーナみたいな脚だし」「しょうがないじゃん。コレ履いてみ?かなりキツイんだから」「ごめんごめん。これも貴重な経験ってことで…でも、ウケる。ちょっと写真…」「やめろー」「いいじゃん。お願い、1枚だけ」「やーめーろー」なんてフザケている間に、看護師さんが迎えに来ました。ああ、こういうときでもフザケちゃう私って一体…。

「よし。じゃあ、行ってくるか」自分で自分を奮い立たせようとつぶやく夫の手を取って、「はい、お義母さんからパワー注入」「はい、お義兄ちゃんからもパワー注入」と手を握っていただきました。そうでもしないと、母と息子が、兄と弟が手を握る機会ってないですものね。私はいつも病院から帰るときと同じようにグーを出して「ぜってー、負けねえ」、「ぜってー、帰ってくる」と夫のグーとカチンと合わせて見送りました。(※EXILE大好きな私たちのお決まり挨拶です)

そこからの約4時間はとても長かったです。手術中は途中で何かあったときのために、誰か一人は必ず院内に待機しなければなりません。腰の悪いお義母さんは長時間座っていられないため、お義母さんのことはお義兄さんにお願いして私が残ることにしました。といっても、飲み物以外ノドを通らないし、スマホの画面も持参した本の文字も全く頭に入ってきません。「こっちがエコノミー症候群になりそうだわ」と思いながらも、ただひたすら待合室でじーーーっと座ったまま心ここにあらず、な状態でした。

名前を呼ばれて、手術室に連れて行っていただいたのが13時半過ぎくらい。少し前に夫を見送った扉の向こう側は冷んやりしていて、「へえ~、ここが手術室か」とキョロキョロしていると(←緊張していても、ヘンな余裕もある私の謎行動!?)手術を終えたばかりの先生がやって来ました。「もうすぐ麻酔から覚めると思いますが、手術は成功です。癒着もなかったし、腹膜播種もみられませんでしたので、予定通り腹腔鏡のみでいけましたよ」…先生の言葉にふっと肩の力が抜けました。

リカバリールームに戻ってきた夫は麻酔でまだぼんやりしていましたが、「お帰りなさい。手術は成功だって。やったね、お疲れさま♪」の声掛けにピースサインで答えていました。そして、病室に戻ってきたお義母さんは言葉にこそ出しませんが、「よかった、よかった」と語りかけるように夫の手をずっと撫でている姿に涙が出そうになった私は、「買い物に行ってくるね」と病室を抜け出しました。母は強し、と思った瞬間で、親子水入らずの貴重な時間。ここはお義母さんにお願いして、外の空気を吸いに行きました。

お姑さんと嫁の関係って、世間ではいろいろと難しいといわれます。私の場合は次男の嫁という立場で、しかも離れて暮らしていることもあって比較的良い関係を築けている方だと思います。しかし、今でこそこんな話ができますが、実は結婚10年目くらいのときにあることがきっかけで夫の実家と5年くらい疎遠になっていた期間があります。お義父さんの病気を境に関係を修復できたのですが、このとき初めてお義母さんとぶっちゃけトークをしました。フタを開けてみれば何てことなく、「な~んだ、もっと早く話していれば良かったよね」という明らかなコミュニケーション不足。亭主関白なおウチだったので、お義母さんと話す機会が少なかっただけだったんです。

そこからは、お義母さんもぶっちゃけるし、私もぶっちゃける。今でも実家へ行ったら、時間を忘れるくらい延々とおしゃべりできる関係でいられるのは有難いことで、「あのとき修復できていなかったら、どうなっていたのだろう」と考えることがあります。悲しい出来事でしたが、きっかけをつくってくれたお義父さんに感謝。「話してみればいいじゃん」と間を取り持ってくれた夫にも感謝です。

それに、いくつになっても母は母。どう頑張ったところでお義母さんの代わりはできないですし、子供のいない私は親としての気持ちを想像できても100%理解することはできません。逆も同じで、お義母さんが私の代わりをすることはできないでしょう。違っていて当たり前だし、それぞれがそれぞれの立場でできること、思うことがあるのもごくごく自然な話。もちろん、その領域にズカズカと土足で踏み込まないのはお約束で、最低限のルール。それが適度な距離、なのかもしれません。

そこさえ守ってさえいれば、ありのままの自分でいいと思うのです。「私が、私が」と出しゃばる必要もないし、「私なんて」と悲観する必要もない。大ヒットした歌ではないですが、「ありの~ままの~姿見せるのよ~♪」そんな気持ち。だから、私がいつものようにフザケて、少しでもその場が和んで笑ってくれたら本望。笑う門には福来るっていうでしょ?いくらでも笑わせまっせ♪という思いは、今も変わりません(笑)

といっても、なかには「私が、私が」と距離感のわからない困ったさんがいることも事実。私の友達やお世話になっている奥様も、ご主人が大変なときにこの手のタイプにやられて参った、という話を聞いています。どこにでもいるんです、そういう人が。こういう人への対処については改めて別の機会に書こうと思いますが、心の底から「逃げてーーー!」と言いたいです。ちなみに私は……逃げました(笑)ただでさえ疲れる相手なのに、よりによってなぜ今?マジ勘弁して。こっちはそれどころじゃないんです、とシャッターガラガラです。

さて、お腹に1cmくらいの小さな穴を5箇所(確か…)開けた夫は、その後の傷口の状態も順調で翌日には一般病棟に戻って歩かされます。これが結構辛いらしく、寝返りするにも起き上がるにも全て腹筋を使うため「ッ……アタタ…」となってしまいます。ベッドから立ち上がるのにも腹筋、座るのも腹筋、咳やくしゃみをするにも腹筋…人間の体は無意識のうちに腹筋を使っているのですよね…。

6.食事ができるようになるための胃空調バイパス手術

夫のケースは、手術不可能&十二指腸に浸潤しているので放射線治療も不可能&肝転移アリでしたので、やれることといえば化学療法のみ。でも、その目的はがんの進行を少しでも遅らせることです。が、抗がん剤をやるにも体力が必要で、食事が摂れないことには次のステップに進めません。(夫の詳しい症状はコチラをどうぞ)

B大学病院から出戻った夫に対して、担当医の先生はすぐに胃と腸をつなげるバイパス手術を準備してくださっていました。この先生はやることなすことすべてが早く、このスピード感も私たちが気に入っていたことのひとつ。ですが、出戻り翌日に手術というのはさすがに驚きました。聞くと、「だって、B大学病院の手術予定日が4月1日だったでしょ?だから、同じ日に突っ込んじゃいましたから(キリッ)」……突っ込んじゃいましたって、そんな簡単に手術って入れられるの?と思いつつも、1日でも早くゴハンを食べたい夫としては有難いことこのうえなしです。

夫が受けた手術の正式名称は、「腹腔鏡補助下胃空調バイパス手術」というもの。
大量出血の原因となった十二指腸の腫瘍部分に食べ物を通さないために、腹腔鏡によって胃と腸をダイレクトに繋ぎあわせる手術です。夜には手術そのものの説明やリスクの他にも、次のような説明を受けました。

・予定は腹腔鏡下でも、癒着など実際の所見次第では開腹術に切り替えることもあること。
・現段階では胆管の詰まりは大丈夫そうだけれども、すい臓がんは胆管が詰まりやすい。状態によって、胆管と腸をつなげる必要がある場合(胆管空腸吻合)はお腹を開ける。
などなど。

こちらは手術説明・同意書(患者控え)の裏なのですが、先生が説明しながらボールペンでパパッと描いてくださったもの。

がん告知のときもそうでしたが、この先生は説明が丁寧でわかりやすい。それに、絵が上手い。以前、何かの記事で「腕のいい外科医は絵が上手い」という内容を読んで目からウロコだったことを思い出し、先生への期待感が高まったのは言うまでもありません。

といっても、私たちはど素人です。特に、今回の夫のことに関しては「納得できるまで何でも聞く」と私自身が決めていましたので、素人なりでも自分で調べて疑問に思ったことはどんなことでも手帳にメモしたり、調べてもわからないことはプリントアウトしていつでも質問できるように準備もしていました。

それに、折しもこの時期は群大の腹腔鏡手術のことがニュースで話題になっていたとき。今回の手術を調べてみると、難易度は低いようですし、やっぱり開腹手術はできるだけ避けたい。といってもご時世的に、「腹腔鏡」というだけでビビッてしまうのも素人ゆえの心理。黙っていられない私の性格上、こんなことまで聞いてしまいました。

「あのー、ぶっちゃけ腹腔鏡ってリスク高いのですか?」
「リスクは手術の内容によって違いますね。ご主人の場合はよくある手術のひとつですし、危険なものではないですよ。また、どうして?(奥さん、いろいろ調べてわかってるでしょう?的なニュアンス)」
「ええ、一応私も調べて理解してみたのですが、今騒がれている群大の件があるし気になっちゃって…」
「あ~、アレね。はははは、ご主人のとは全く別。まぁ、心配しちゃう気持ちはわかりますし、どんな手術でもリスクなしというのはないわけで。でも、今回のはウチの病院でも症例数は多いし、心配しなくて大丈夫!」
「それを聞いて安心しました。いえね、腹腔鏡=危険という報道ばかり目にしてつい。あはは、すみませーん。変なこと聞いちゃって…。」
「いえいえ、少しでも不安なことがあったら何でもどうぞ。はい(o^―^o)」

思い返せば、我ながらずいぶんバカで失礼な質問をしたな、と思います(笑)でも、このときは真剣だったのも事実で、ちょっとしたモヤモヤもクリアにしたいという気持ちの方が勝っていました。この先生だからこそ話しやすかったというのもありますが、「こんなことを聞いたら怒られるかな?」「こんなことを聞いたらバカだと思われるかな?」という気持ちよりも「わからないので教えてください」という気持ち。

見方によっては、“面倒な患者家族”だったかもしれません。でも、心のどこかで「たとえ小うるさいと思われても、私が思われる分にはどうでもいいや」という開き直り(?)もあった気がします。その一方で、相手の時間を使って教えていただくからには自分もちゃんと調べて少しでも知識を増やす、ということも心がけました。もちろん、知ったかぶりをする気はさらさらなくて、あくまでも夫のすい臓がん対策プロジェクトに「参加させていただく」という姿勢が基本。そんな私に快く応えてくださった担当医の先生には、心から感謝しています。

さあ、約1カ月近く続いた絶食ももうすぐ終わり。痛い思いはしちゃうけれども、もうすぐ…もうすぐだからね。そして、「どうか明日の手術が、腹腔鏡だけで済んで開腹になりませんように…」と祈ることしかできませんでした。

5.「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき

がんのことを周囲に知らせると、周りの方々はいろいろな声をかけてくださいます。
その多くは励みになったり、「ガンバロ!」と前向きな気持ちにさせていただける有難い言葉なのですが、ときにはその言葉によって傷付いたり腹が立つこともたま~にあります。相手の立場を考えてみれば、何の気なしに出てしまっただけで、言ったことも忘れてしまうくらい日常的なこと。悪気なんて全くない、ということもすっごーーくわかります。だからこそ、「え?」と思っても、無難な対応してその場をやり過ごそうとします。

それに、私も夫のことがなければ、無意識という名の免罪符のもと誰かを傷付けている(いた)のかもしれません。一度出してしまった言葉は、「なかったことに」できないですからね。だからこそ、言葉って本当に難しい…。といっても、「みんなー、がんだから気を遣ってね~」とか「言葉には、くれぐれも注意してね~」なんていう気はこれっぽちもありません。

どちらかというと、当事者だからこそ通じる「あるある話」。「なんだ、自分だけじゃないのね」と思って心を楽にしていただけたらいいな、と思います。なので、私が実際に言われて「はい?(は?ケンカ売ってんのか?)」「キツイなぁ、それ」「どうしてそういう言い方するかなぁ」と感じた言葉を小出しに挙げていこうと思いますが、まずは「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき。さすがに、夫に直接言っているのは見ていないです(知らないだけかもしれませんが…)が、私は何人かに言われて違和感のあった言葉です。

「本当にがんなの?」
「本当なんですよ。ウソだったらいいんですけどねぇ。あはは…(苦笑い)」

(心の声)ええ、私だってこれがウソであって欲しい、夢であって欲しい、と何度思ったかわからないってーの。でも、本当なんです。第一そんなウソ、つくわけないでしょ?そんなに信じられないのなら、担当医の先生でもご紹介しましょうか?ええ、ええ、間違いなく、が ん な ん で す けど何か?

「がんには見えないね」
「そうかもしれませんねぇ。それに、がんといっても症状はいろいろですから~。あはは…(苦笑い)」

(心の声)だから、何?もっと弱っていると思った?それって、がんの認識間違ってるからーー。確かに痛みもないし、激痩せしてるわけでもないけど、精神的には結構キツイのよ。それでも、元気でいなくちゃ負けちゃうって思ってやっているだけで、心の中はまだぐちゃぐちゃだし夫も私もすっげー葛藤してんだよーー。表に出さないだけ、でね。

すみません、取り乱しました…(笑)
自分でも、当時は神経がピリピリしていたと思います。だから、些細なことも敏感に受け取ってしまうのでしょう。人に伝えるということは、こういうことにも対処することなんだ、と改めて認識しました。それに、お気付きかもしれませんが、私は結構カチンカチンくるタイプ。血気盛んな若い頃は怒りの沸点が低くて、それに比べたら「ずいぶん丸くなったね」なんて言われますが、表面でヘラヘラしながら心の中ではこんな毒も吐いていました。でなければ、正直やっていられません。

でも、怒った後って疲れませんか?また、凹んでいるときはエネルギーがだだ漏れするというか…力が沸かないというか。
負の感情のエネルギー消耗度といったらもう……病院から帰ってぐったりすることもありました。私もなんやかんやいっても50代、充電するにも時間がかかるようになりました。で、ふと気付くのです。こんなことに大事なエネルギーを使うのは損だな、と。そんなどうでもいいことにエネルギーを使うなら、本来使うべきことにエネルギーを使おう、と。ああ、エネルギーの無駄遣い。ああ、もったいないことした、と。

そう考えていくと、バカバカしく思えてくるから不思議なものです。もちろん感情なので、思うようにならないことだってあります。負の感情が溜まってくることもあります。そんなとき、私はひたすら独り言をつぶやいていました。病院から帰る道すがら、部屋の中、お風呂の中……誰もいないのにブツブツと。ちょっと(いえ、かなり?)危ない人物です(笑)でも、心にずっとしまっているよりも、実際口に出して吐き出してしまった方が後を引きません。心の中もデトックスしてスッキリしないと、身がもちませーん。

そんなことを続けていくとカチンと来る回数も減ってきて、「あはは…(また言われちゃった。でも、もう慣れたもんね)」→心の中でポイッ!と即捨て、以上!と割りきれるようになってきました。といっても、こうして書けるということは心の奥底で根にもっているのかもしれませんけれども…。そして、この言葉シリーズは続くのですけれども…ふふふ(笑)

4.がんのことを職場や友達にどこまで報告する?

家族が病気になると、周りの人たちに報告することも家族の役目。
といっても、誰にどこまでのことを伝えたらいいのか……うむむ、どうしよう。

いくら2人にひとりががんになる時代といっても、聞いた相手は動揺してしまうでしょう。ましてや、「すい臓がん ステージ4b」。がんの知識が全くない人でも、想像力をかきたてるくらいセンセーショナルな言葉の響きです。
それに、夫は「男は黙ってサッポロビール(例えが古い)」なタイプで、「大騒ぎにしたくないんだよなぁ」と言います。ええ、私もできれば大袈裟にしたくないです。でも、ずっと内緒にしておくわけにもいかないのですわ……。

まずは、身内。
本当なら一番にお義母さんに伝えなければいけないのでしょうが、1年前に大きな手術をしたこともあってちょっと心配。日常生活はおくれるようになったものの万全とはいえず、身体のことを考えると伝えるタイミングを慎重にしなければ…。ですので、まずは実家で敷地内同居をしているお義兄さんに連絡しました。やはり「今すぐには言えないなぁ。タイミングを見て俺から話すよ」とのことで、義弟くんや親戚への連絡も含めてお義兄さんに全てお願いすることにしました。
一方、私の母は83歳と高齢ですが、元看護師ということもあって医療知識皆無な私にとって心強い存在です。時代は違っても、人体のメカニズムは変わりません。母には、すぐに連絡を入れました。

職場には、さすがに内緒というわけにはいきませんから、お店のオーナーには報告をしていました。オーナーの方も電話の向こうで言葉を失い固まってしまうほど、その衝撃の大きさは伝わってきていて「どこまでメンバーに話していいのか…」という状態。
ですよねぇ。どこまで情報開示するか……早急に夫と話し合わなければいけません。

そして、夫の友人や仲間の皆さんのこと。
私自身、夫の交友関係を全て把握しているか?といったら、お互い様とはいえかなり怪しいもの。しかも、飲食業界は一般的なサラリーマン以上に横のつながりが多い業界。入院によって余儀なく休職ともなれば、「どうした?」「何があった?」「なんだか、○○らしいよ」と噂が噂を呼び、広がってしまうのも時間の問題で避けられないでしょう。人の口に戸をたてられませんしね。それに、聞かれた側(お店のオーナー)もどう答えていいか困ってしまいます。なので、、、

ええーい、全部話してしまえ!
という結論に至りました。

「聞いて聞いてー」と宣伝するつもりは毛頭ないですが、内緒にしておくことで周りの憶測や詮索が正直めんどくさい(そこ?)。入院中ですから携帯に電話してくる人は少ないですが、メールやLINEなど「ある意味便利、ある意味面倒なツール」もある世の中。心配してくださる気持ちは有難いのですが、そう頻繁にピロピロ鳴られても……ねぇ(汗)ごくごく普通の一般ピーですらカタチは違えどこうなるのですから、マスコミにイチイチ張られてしまう芸能人の方は本当にお気の毒…。海老蔵さんが奥様のことで記者会見したお気持ちも、何となくわかる気がします。

幸い夫の場合は、「自分が窓口になるから」と言ってくださった友達がいてくれたので助かりました。彼は夫と20代の頃からの友人で、毎月ゴルフにも行っていた仲。同じ飲食業界ですし、私以上に夫の交友関係を知っている人です。もうひとり、出会いのきっかけはお店のお客様ですが、毎月のゴルフに行くくらい仲良くしていただいた方。仲良しゴルフトリオのおふたりには家族と同じように全てを伝えて、そこから先の連絡はお願いしました。そして、「もし聞かれたら、全部話してくださって構いません」ということも。

がんになったことを周りに伝えることでガンバロウと思える人、家族のみ共有することで穏やかに向き合える人、めんどくさいから話しちゃえという私たちみたいな人(笑)、いろいろなケースがあると思います。これも人それぞれ…と「それじゃあ、参考にならないよ」という話になってしまいますが、できるだけ負担やストレスにならない方法を選びたいものです。

当初の私は、夫婦ふたりだけというのもあって「全部私がやらなくては!」という気持ちが強かったです。でも、自分ひとりができる範囲なんて限られているんですよね。だから、抱え込まないようにして、周りの方々に甘えさせていただくことにしました。それは、私の友達にもいえていて、ずいぶんと愚痴を聞いてもらったり、背中を押してもらったり、アドバイスしてもらったり…と支えていただきました。特に私は、すぐ一杯一杯になってしまうタイプなのでなおのこと。個人的には、周りに話したことで救われている私がいました。

3.「ん?何かヘンかも?」と思ったときは仕切り直しのチャンス

晴れて希望したB大学病院では胃と腸をつなぐ手術の日も決まり、それに合わせて夫は転院することになりました。

大学病院が忙しいのは百も承知しています。私が通っていた時も、待ち時間半日、診察10分なんてのはザラで、患者数が多いものねと理解していました。が、それにしても転院初日に暗くなっても担当医が顔を出さないというのは大学病院では普通なのでしょうか?
「お手すきのときにお話ししたいので…」とお願いしていても、です。きっとお手すきじゃないのだろうと100歩譲って我慢していましたが、一事が万事この状態は不安だなぁと思っていました。

この不安が決定的となったのは、手術の説明を受けたとき。
「えぇっと、ご主人様の場合はこのように開腹いたしまして、ここに腸ろうを着ける手術を行います。」…担当医という医師は、慣れていないのか自信なさそうな口調で、縦線2本(=胴みたいです)の真ん中に真っすぐ線を書いていきます。(なんじゃそら?幼稚園児だってもう少しまともな絵が描けるだろう)と思いながら、「は?開腹手術?前の病院では、体力温存を優先して腹腔鏡術でと伺っていましたが…こちらの病院では無理なのですか?」と聞くと、「がんの末期ですので、腹膜に転移しているかどうか確認するためです。」とのこと。

私「お腹開けたら体力消耗しちゃいませんか?ただでさえ、1カ月近く絶食ですし。それに、もし腹膜に転移していなかったら?」
担医「でも、末期がんですので念のために。」
私(念のためって何?さっきから答えになってないし。大丈夫?この人)「えぇっと、そしたらこの腸ろうはどういう意味が?」
担医「将来、食事ができなくなったときのためとして、今のうちに念のため。」
私(また、念のためかよ。念のためでイチイチお腹を開けるって勘弁してよ)「いえいえ、そもそもなんですけどね。私たちは、まず食事ができるようになりたいんです。そのためのバイパス手術であって、がんについては次の段階として考えていて…」

すると、担当医より少し後ろの位置に座っている先輩らしき医師が
先医「あの、ご主人様は手術しても食べられるようになるとは限りませんよ。」
私「はい?手術しても食べられないんですか?」
先医「ええ、その可能性もあるということです。ご主人様は末期ですから。」
私「食べられなければ、がんの治療はどうなんですか?難しくなるのでは?」
先医「そうなることもありますよねぇ。末期ですしね。」

…ていうかさぁ、さっきから聞いていれば、本人を目の前にして
末期、末期って、うるせーーーよっ!
こっちは、これから頑張ろうと思ってるんだよっ!
言葉にこそ出しませんでしたが、ブッチーンと切れました。
もういい。この人たちと話をすればするだけ、隣で聞いている夫を傷付け絶望させてしまうことになるのでこれ以上話したくもありません。

もちろん、この手術に同意できるわけもなく「サインはできません」とお断り。こちらからお願いしておきながらお断りとは、前代未聞かもしれませんが、譲れないものは譲れない。体力にも影響する手術だけに、納得できないことへのサインはできません。それに、末期だから何やっても無駄的な口ぶりだし言葉に「心」がまったく見られない、と感じるのは私だけでしょうか?こういう世の中ですから、リスクヘッジしたいこともわかります。でも、医師自らが患者に絶望感を与えるような発言は本末転倒。明らかなコミュニケーション不足を痛感しました。

そして、私たちは病室に戻って「この先、どうするか?」を話し合いました。が、夫は「もうなんだっていいよ……」と投げやりです。ああぁ、いわんこっちゃない。でも、こういうときこそ家族の出番!?ここは私自身も冷静にならないとイケマセン。
いやいやいや、気持ちはわかるけれども、そこはちゃんと向き合おうよ。体裁も何も関係ないし、そんなのどうにでもなるし、今ならまだ間に合う。大袈裟な言い方だけど、「さっきの先生に、自分の命を預けられる?どの先生なら、信じられる?」…その視点で考えよう。
出した結論は「早くここを出て戻ろう」。……私は翌朝すぐに、A病院に戻るための転院手続きを進めました。

ちなみに、ちょうどその頃病室では週1回行われる院長様回診があったそうです。『白い巨塔』のシーンさながらの大名行列といったところでしょうか。面会時間外ですので、私は残念ながらそのシーンを拝見できなかったのですが、、、

院「どうですか?食事は摂れていますか?」
夫(は?何言っちゃってるの?)「いえ、絶食中ですけど…」
院「そうですか。食べられなくなっちゃったかなぁ?」
夫(アホか?わかってないにもほどがある。というか、カルテも見てないの?)「…………」
チーン!
ええっと、この院長様って確か外科の教授様でもありましたよね?何、このトンチンカンなやりとり。あまりにも間抜けすぎて、『白い巨塔』の財前五郎もお嘆きでしょう。

また、同じ日の午後、私は准教授様という医師から「キャンセルする理由を聞きたい」と呼び出されました。私も一応大人ですから、こちらから希望しておきながらという点は丁重にお詫びしました。準備もしてくださったことでしょうし、受け入れてくれたことについては感謝を示したうえで、手術辞退と戻りたい理由を洗いざらい話しました。
そして、話の流れで「余命は伝えていない」と言ったところ、「今朝、院長回診でご主人様にお会いしましたが、しっかりと受け止められる方だとお見受けしましたよ。そういう方に、余命を伝えないのはご本人のためになりません。伝えた方がいいですよ。」とご丁寧にアドバイスまでいただいてしまい、私は苦笑するしかありませんでした。うわーん、ダメだ、こりゃ。

えっと、わずか5分もいないのに?しかも、直接会話をしていないのに?一体夫の何がわかるというのでしょうか?あなたは、透視能力でもお持ちなのでしょうか?……突っ込んでみたい気持ちもありましたが、こういう人と話していること自体時間の無駄。こういう感覚の上司だから、ああいう部下が育ってしまうのも仕方がないのかもしれないですね。お気の毒、とさえ思えてきました。

そうはいっても、現実を突きつけられた、という思いもありました。もちろん、大学病院すべてがそうだと決めつける気はありませんし、批判する気もありません。こちらの大学病院にも、気持ちの通じる医師はいらっしゃるのだろうと思います(そう思いたいです)。今回のケースは、私たちと相性が合わなかっただけ、なのだと思います。
でも、これで「大学病院に行っていれば…」も「吉方位に行っていたら…」という迷いもすっきり。大学病院押しの義兄にも納得していただき、大手を振っての出戻りとなりました。

がんに限らず大きな病気になると、どの病院に行こう?と迷う方は多いと思います。でも、それ以上に大事なのは「どんな医師」に診ていただくか?で、「相性が合うor合わない」は患者本人はもちろん家族にとっても大きいと実感しました。
それに、戻れる病院があった私たちはむしろラッキーな方。ですから、安易に「嫌だったら我慢しないで、とっとと病院を変えた方がいいよ。」なんてことを言うつもりはありません。それも縁だったり、タイミングだったり、いろいろな条件があってこそ。

ただ、疑心暗鬼のまま物事を進めるのは後悔や迷いに繋がってしまいますし、大事なことさえ見失ってしまう危険性があるような気がするのです。心の中で「ん?」「おかしいのでは?」という違和感があるときこそ、一度立ち止まってみることも必要。ピンチ!と思ったことが、実はいろいろなことを考えるきっかけになることだってあります。なので、仕切り直し上等!なのです(笑)