1.本人へのがん告知はどこまで?

がんがわかると、家族は先生から聞かれます。「ご本人にどこまで伝えますか?」と…。
早くも選択をしなければいけない現状を突きつけられます。

数年前、私たちの友人ががんでお亡くなりになった際、夫は「もしがんになったら、俺は全部知りたい」と言っていました。私も全部知りたい派。そのときは、「包み隠さず、全部伝えよう」とお互いに約束していました。
そうはいっても、何もしなければ「余命半年」という内容はヘビーです。いくら冷静沈着な夫でも、さすがに受け止めるには大きいのでは?…いやいや、そもそも全部って何?そこに、余命宣告は含まれているんだっけ?…でも、余命ってあくまでもデータだよね?データも大事だけど、そんな未来予測って意味ある?……頭の中が「?」だらけになります。

ちなみに、実父のとき(28年前)は誤診の末での発覚でしたので、がんということも伝えず内緒を貫きました。
義父の場合(7年前)、家族は「がんということも伝えたくない」と全員一致でしたが、担当医という人が「それでは、緩和ケアを行う上で支障が出る。患者さんになぜ治療をしないんだ?と聞かれたら、私はどうしたらいいのですか?信頼関係が失われて…」とグダグダ駄々をこねまして、義母も義兄も告知することに渋々承知しました。
正直「この医者はバカか!?」と思いました。「どうしたらいいって、それを家族に言っちゃう?そのくらい上手くかわすこともできないの?アホか!」と断固阻止したかったですが、私は次男の嫁という立場。義母と義兄がOKした以上、そこで口を挟むのはいかがなものかと従いました。そして、「末期の大腸がんで余命3カ月」と言われた義父は、その2週間後に旅立ってしまいました。

そんなこともあったからでしょうか。私は、とっさに「余命以外すべてを…」と答えていました。
まずは、先生から「事実」を伝えていただこう、と。そのうえで、本人が知りたいと思ったら聞くだろうし、知りたくないとしたら聞かないだろうし、そこは夫に委ねようと思いました。

というのも、私たち夫婦は子供に恵まれず、ずいぶん昔に病院を受診するかどうかで話し合ったことがあります。そのとき夫は、「もし俺に原因があるとわかったら、その事実を一生抱えられる自信はない。物事には白黒はっきりさせることが必要なこともあるけど、グレーはグレーのままでいいこともあると思うよ。」と言いました。結果として病院に行かず現在に至っているわけですが、この余命も彼にとってグレーゾーンかもしれない、と思ったからです。

残りの人生、やりたいことするためにも余命宣告をした方がいい…という意見もわかります。
でも、こればかりは正解は存在しなくてケースバイケースなんだろうな、と思います。本人の性格、行動パターン、物事に対する考え方や対処の仕方などによってそれぞれ違うと思いますし、違っていて当たり前。みんなそれぞれ違うのです。本人が知りたくないと思っていることを伝えるのは、周りのエゴでしかないのでは?と思います。

しかし、後で詳しい内容を書きますが、「余命宣告をしないのは本人のためになりません。伝えた方がいいですよ。」とご丁寧に勧める医師がいることも事実(実際に私は言われました)。幸い夫の担当医の先生は、「自分の立場では決められません。ご本人様を一番よく知っているのはご家族ですから」と言ってくださったので助かりましたが、デリケートなことだけに慎重に選びたいものです。

もちろん余命宣告を否定しているのではありません。もし私なら、間違いなく「で、私はいつまで?」と聞くでしょうから…。正解はコレ!それは間違い!というマニュアルがあって、それに従えたらどんなに楽でしょう。でも、マニュアル通りにいかないのが人生。だからこそ、たくさん悩んで、いろいろ迷い考えながら選択していくのではないでしょうか。

案の定、夫は先生の説明を一通り聞いて「何か質問はありますか?」の問いかけに「別に何もありません。」ときっぱり。ああ、やっぱりな、と思いました。でも、結構鋭い夫でもあったので、「そこまでの症状で余命について言わないということは、そういうことね。ははーん、隠しているな。」と勘付いていたのかもしれません。それは、本人のみぞ知る、でしょう。

余命については結局最後まで話すことはありませんでしたが、夫が「やりたい」と言うことを可能な限り実現できるようにサポートしていこうと思いました。そして、私自身「データなんかに左右されてたまるものか!」と強く思ったのです。