小林麻央さんご逝去に際して…

小林麻央さんが、天に召されました。
がんがわかって2年8カ月。享年34歳。
麻央さんご自身もそうですが、ご主人の海老蔵さんをはじめとするご家族の皆さん、本当に本当に頑張ったんだろうなと思います。
「頑張った」なんて簡単な言葉で片付けてはいけないくらい、そこにいる誰もが必死にもがいて考えて悩んで、そのなかで楽しいことや幸せなことを感じながら「一瞬一瞬の今」を大切に生きる。

私はがん患者の家族という立場ですが、とても他人事とは思えず、麻央さんのブログをたびたび覗かせてもらっていました。
ブログに綴られている言葉のひとつひとつに共感を覚えましたし、言葉の向こう側に「芯の強さ」「周りへの配慮」「生きたいという心の叫び」を感じられるからこそ、多くの方々に勇気と救い、感動を与えてくれたのだと思います。

言葉に綴ることで、気持ちが晴れることもあります。
整理することもできます。
今、私が夫との時間をブログにしているのも、自分の気持ちを整理するための作業なのかもしれません。
と同時に、夫と過ごした時間は私の宝物で、その宝物を「夫が生きた証」としてをカタチに残しておきたいと思ったためです。
麻央さんがブログを綴っていたのも、そんな背景があったのかな……と勝手ながら推察してしまいます。

お亡くなりになられた今だからこそ、そんなことを言う人は少ないでしょうが、たびたび目にしていた「どうせ、ブログで稼いでいるんでしょ?」という言葉には、激しく抵抗を感じていました。
ハッキリいいます。
それのどこが悪いの?と。
稼いだっていいじゃん、と。
そんなに嫌なら、クリックしなきゃいいじゃん、とかとか。
金銭が絡んでいるかどうかなんて、どうでもいいこと。百歩譲って、たとえブログで収入があったとしても、これだけ多くの人たちに影響を与えたブログは、すごいコンテンツだとネット業界にいるひとりとして言いたいです。

でも、それ以上に嫌悪感を抱くのは、ひとの死にここぞとばかり群がる輩です。(あえて「輩」と書きます)
有名人の方がお亡くなりになると、テレビもネットもやんややんやと大騒ぎ。
夫と同じ時期でいえば、俳優の今井雅之さん、川島なお美さんのとき。昨年、九重親方がすい臓がんでお亡くなりになったときもそうでした。
「こうだったら」「こうしていれば」と私の大嫌いな「たられば論」から、ときには「○○がんはこんな症状」とステージ別でご丁寧に解説していたり、本当にうんざりします。

がんのことをもっと知ってもらうため…という点では、必要な情報なのかもしれません。でも、騒ぎ過ぎ&煽り過ぎる内容はいりません。
親切心なのかもしれませんが、ありがた迷惑なこともある、ということをそろそろマスコミの方々にも気付いていただきたい。報道を観るたびに、そう感じていました。

麻央さんのことでいえば、在宅医療のことが多く取り上げられていた気がします。
海老蔵さんも会見で、次のようにおっしゃっていました。

私は、父は病院で亡くしているので。病院のときとは違う。家族の中で、家族とともに一緒にいられた時間というのは、まあ、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います。(NHK NEWS WEB『海老蔵さん会見 全文』より引用)

これまで過ごしてきた空間で、愛する人たちに囲まれて…本当に素晴らしいことで、理想的な姿だと思います。
実際に、今現在、在宅医療で頑張っているご家族も多いでしょう。
日本の医療も在宅医療をすすめているほどで、40歳以上の方であれば介護保険制度も使えます。

が、我が家のような狭小賃貸では、まずできません。
手すりを付けたり、車いす仕様にしたり、住設備を替えることそのものがNGですから。(我が家の玄関は、車いすさえ入りません)
それに、これは私自身びっくりしたのですが、後に夫が亡くなったことを管理会社に報告したところ「家で亡くなったのか?病院で亡くなったのか?」と必要以上に聞かれ、本当に嫌な思いをしました。(業務上、仕方ないのかもしれませんが)
そんなことを考えると、我が家の場合は病院で看取って正解、だったわけです。

なので「在宅医療は素晴らしい」「こんなにいいことがあるよ~」という杓子定規な報道には、とても違和感がありました。
※麻央さん&海老蔵さんをはじめ、在宅医療の方々を批判しているのではありません。あくまでも、報道の内容です。

在宅医療が、理想的なのはすごくわかります。でも、やりたくてもできない人がいることも現実。
住環境の問題もそう、看病する人員の問題もそう、お金の問題もそう。
麻央さんの場合は、ひとつの例に過ぎません。
それぞれの事情があって、そのなかで選択して折り合いをつけているのですから、今回の報道を見て「病院でごめんね」と凹んだり、自分で自分を責めないで欲しいと思います。

がんの症状も、生活環境も、家族構成も十人十色。
それぞれの考えやストーリーがあって当たり前で、参考にできることは取り入れればいいだけで、比べるものではありません。

応援している人がお亡くなりになるのは、とてもショックで悲しいこと。私自身も衝撃が大きく、いろいろなことを思い出してしまいました。
でも、それをご自身に置き換えて、決して落胆しないで欲しい…心からそう思います。それは、患者さんでも、ご家族の皆さんでも。
シンドくなりそうだったら観ない、という選択もアリなのですから。

最後に、小林麻央さんのご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

5.「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき

がんのことを周囲に知らせると、周りの方々はいろいろな声をかけてくださいます。
その多くは励みになったり、「ガンバロ!」と前向きな気持ちにさせていただける有難い言葉なのですが、ときにはその言葉によって傷付いたり腹が立つこともたま~にあります。相手の立場を考えてみれば、何の気なしに出てしまっただけで、言ったことも忘れてしまうくらい日常的なこと。悪気なんて全くない、ということもすっごーーくわかります。だからこそ、「え?」と思っても、無難な対応してその場をやり過ごそうとします。

それに、私も夫のことがなければ、無意識という名の免罪符のもと誰かを傷付けている(いた)のかもしれません。一度出してしまった言葉は、「なかったことに」できないですからね。だからこそ、言葉って本当に難しい…。といっても、「みんなー、がんだから気を遣ってね~」とか「言葉には、くれぐれも注意してね~」なんていう気はこれっぽちもありません。

どちらかというと、当事者だからこそ通じる「あるある話」。「なんだ、自分だけじゃないのね」と思って心を楽にしていただけたらいいな、と思います。なので、私が実際に言われて「はい?(は?ケンカ売ってんのか?)」「キツイなぁ、それ」「どうしてそういう言い方するかなぁ」と感じた言葉を小出しに挙げていこうと思いますが、まずは「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき。さすがに、夫に直接言っているのは見ていないです(知らないだけかもしれませんが…)が、私は何人かに言われて違和感のあった言葉です。

「本当にがんなの?」
「本当なんですよ。ウソだったらいいんですけどねぇ。あはは…(苦笑い)」

(心の声)ええ、私だってこれがウソであって欲しい、夢であって欲しい、と何度思ったかわからないってーの。でも、本当なんです。第一そんなウソ、つくわけないでしょ?そんなに信じられないのなら、担当医の先生でもご紹介しましょうか?ええ、ええ、間違いなく、が ん な ん で す けど何か?

「がんには見えないね」
「そうかもしれませんねぇ。それに、がんといっても症状はいろいろですから~。あはは…(苦笑い)」

(心の声)だから、何?もっと弱っていると思った?それって、がんの認識間違ってるからーー。確かに痛みもないし、激痩せしてるわけでもないけど、精神的には結構キツイのよ。それでも、元気でいなくちゃ負けちゃうって思ってやっているだけで、心の中はまだぐちゃぐちゃだし夫も私もすっげー葛藤してんだよーー。表に出さないだけ、でね。

すみません、取り乱しました…(笑)
自分でも、当時は神経がピリピリしていたと思います。だから、些細なことも敏感に受け取ってしまうのでしょう。人に伝えるということは、こういうことにも対処することなんだ、と改めて認識しました。それに、お気付きかもしれませんが、私は結構カチンカチンくるタイプ。血気盛んな若い頃は怒りの沸点が低くて、それに比べたら「ずいぶん丸くなったね」なんて言われますが、表面でヘラヘラしながら心の中ではこんな毒も吐いていました。でなければ、正直やっていられません。

でも、怒った後って疲れませんか?また、凹んでいるときはエネルギーがだだ漏れするというか…力が沸かないというか。
負の感情のエネルギー消耗度といったらもう……病院から帰ってぐったりすることもありました。私もなんやかんやいっても50代、充電するにも時間がかかるようになりました。で、ふと気付くのです。こんなことに大事なエネルギーを使うのは損だな、と。そんなどうでもいいことにエネルギーを使うなら、本来使うべきことにエネルギーを使おう、と。ああ、エネルギーの無駄遣い。ああ、もったいないことした、と。

そう考えていくと、バカバカしく思えてくるから不思議なものです。もちろん感情なので、思うようにならないことだってあります。負の感情が溜まってくることもあります。そんなとき、私はひたすら独り言をつぶやいていました。病院から帰る道すがら、部屋の中、お風呂の中……誰もいないのにブツブツと。ちょっと(いえ、かなり?)危ない人物です(笑)でも、心にずっとしまっているよりも、実際口に出して吐き出してしまった方が後を引きません。心の中もデトックスしてスッキリしないと、身がもちませーん。

そんなことを続けていくとカチンと来る回数も減ってきて、「あはは…(また言われちゃった。でも、もう慣れたもんね)」→心の中でポイッ!と即捨て、以上!と割りきれるようになってきました。といっても、こうして書けるということは心の奥底で根にもっているのかもしれませんけれども…。そして、この言葉シリーズは続くのですけれども…ふふふ(笑)

4.がんのことを職場や友達にどこまで報告する?

家族が病気になると、周りの人たちに報告することも家族の役目。
といっても、誰にどこまでのことを伝えたらいいのか……うむむ、どうしよう。

いくら2人にひとりががんになる時代といっても、聞いた相手は動揺してしまうでしょう。ましてや、「すい臓がん ステージ4b」。がんの知識が全くない人でも、想像力をかきたてるくらいセンセーショナルな言葉の響きです。
それに、夫は「男は黙ってサッポロビール(例えが古い)」なタイプで、「大騒ぎにしたくないんだよなぁ」と言います。ええ、私もできれば大袈裟にしたくないです。でも、ずっと内緒にしておくわけにもいかないのですわ……。

まずは、身内。
本当なら一番にお義母さんに伝えなければいけないのでしょうが、1年前に大きな手術をしたこともあってちょっと心配。日常生活はおくれるようになったものの万全とはいえず、身体のことを考えると伝えるタイミングを慎重にしなければ…。ですので、まずは実家で敷地内同居をしているお義兄さんに連絡しました。やはり「今すぐには言えないなぁ。タイミングを見て俺から話すよ」とのことで、義弟くんや親戚への連絡も含めてお義兄さんに全てお願いすることにしました。
一方、私の母は83歳と高齢ですが、元看護師ということもあって医療知識皆無な私にとって心強い存在です。時代は違っても、人体のメカニズムは変わりません。母には、すぐに連絡を入れました。

職場には、さすがに内緒というわけにはいきませんから、お店のオーナーには報告をしていました。オーナーの方も電話の向こうで言葉を失い固まってしまうほど、その衝撃の大きさは伝わってきていて「どこまでメンバーに話していいのか…」という状態。
ですよねぇ。どこまで情報開示するか……早急に夫と話し合わなければいけません。

そして、夫の友人や仲間の皆さんのこと。
私自身、夫の交友関係を全て把握しているか?といったら、お互い様とはいえかなり怪しいもの。しかも、飲食業界は一般的なサラリーマン以上に横のつながりが多い業界。入院によって余儀なく休職ともなれば、「どうした?」「何があった?」「なんだか、○○らしいよ」と噂が噂を呼び、広がってしまうのも時間の問題で避けられないでしょう。人の口に戸をたてられませんしね。それに、聞かれた側(お店のオーナー)もどう答えていいか困ってしまいます。なので、、、

ええーい、全部話してしまえ!
という結論に至りました。

「聞いて聞いてー」と宣伝するつもりは毛頭ないですが、内緒にしておくことで周りの憶測や詮索が正直めんどくさい(そこ?)。入院中ですから携帯に電話してくる人は少ないですが、メールやLINEなど「ある意味便利、ある意味面倒なツール」もある世の中。心配してくださる気持ちは有難いのですが、そう頻繁にピロピロ鳴られても……ねぇ(汗)ごくごく普通の一般ピーですらカタチは違えどこうなるのですから、マスコミにイチイチ張られてしまう芸能人の方は本当にお気の毒…。海老蔵さんが奥様のことで記者会見したお気持ちも、何となくわかる気がします。

幸い夫の場合は、「自分が窓口になるから」と言ってくださった友達がいてくれたので助かりました。彼は夫と20代の頃からの友人で、毎月ゴルフにも行っていた仲。同じ飲食業界ですし、私以上に夫の交友関係を知っている人です。もうひとり、出会いのきっかけはお店のお客様ですが、毎月のゴルフに行くくらい仲良くしていただいた方。仲良しゴルフトリオのおふたりには家族と同じように全てを伝えて、そこから先の連絡はお願いしました。そして、「もし聞かれたら、全部話してくださって構いません」ということも。

がんになったことを周りに伝えることでガンバロウと思える人、家族のみ共有することで穏やかに向き合える人、めんどくさいから話しちゃえという私たちみたいな人(笑)、いろいろなケースがあると思います。これも人それぞれ…と「それじゃあ、参考にならないよ」という話になってしまいますが、できるだけ負担やストレスにならない方法を選びたいものです。

当初の私は、夫婦ふたりだけというのもあって「全部私がやらなくては!」という気持ちが強かったです。でも、自分ひとりができる範囲なんて限られているんですよね。だから、抱え込まないようにして、周りの方々に甘えさせていただくことにしました。それは、私の友達にもいえていて、ずいぶんと愚痴を聞いてもらったり、背中を押してもらったり、アドバイスしてもらったり…と支えていただきました。特に私は、すぐ一杯一杯になってしまうタイプなのでなおのこと。個人的には、周りに話したことで救われている私がいました。