5.「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき

がんのことを周囲に知らせると、周りの方々はいろいろな声をかけてくださいます。
その多くは励みになったり、「ガンバロ!」と前向きな気持ちにさせていただける有難い言葉なのですが、ときにはその言葉によって傷付いたり腹が立つこともたま~にあります。相手の立場を考えてみれば、何の気なしに出てしまっただけで、言ったことも忘れてしまうくらい日常的なこと。悪気なんて全くない、ということもすっごーーくわかります。だからこそ、「え?」と思っても、無難な対応してその場をやり過ごそうとします。

それに、私も夫のことがなければ、無意識という名の免罪符のもと誰かを傷付けている(いた)のかもしれません。一度出してしまった言葉は、「なかったことに」できないですからね。だからこそ、言葉って本当に難しい…。といっても、「みんなー、がんだから気を遣ってね~」とか「言葉には、くれぐれも注意してね~」なんていう気はこれっぽちもありません。

どちらかというと、当事者だからこそ通じる「あるある話」。「なんだ、自分だけじゃないのね」と思って心を楽にしていただけたらいいな、と思います。なので、私が実際に言われて「はい?(は?ケンカ売ってんのか?)」「キツイなぁ、それ」「どうしてそういう言い方するかなぁ」と感じた言葉を小出しに挙げていこうと思いますが、まずは「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき。さすがに、夫に直接言っているのは見ていないです(知らないだけかもしれませんが…)が、私は何人かに言われて違和感のあった言葉です。

「本当にがんなの?」
「本当なんですよ。ウソだったらいいんですけどねぇ。あはは…(苦笑い)」

(心の声)ええ、私だってこれがウソであって欲しい、夢であって欲しい、と何度思ったかわからないってーの。でも、本当なんです。第一そんなウソ、つくわけないでしょ?そんなに信じられないのなら、担当医の先生でもご紹介しましょうか?ええ、ええ、間違いなく、が ん な ん で す けど何か?

「がんには見えないね」
「そうかもしれませんねぇ。それに、がんといっても症状はいろいろですから~。あはは…(苦笑い)」

(心の声)だから、何?もっと弱っていると思った?それって、がんの認識間違ってるからーー。確かに痛みもないし、激痩せしてるわけでもないけど、精神的には結構キツイのよ。それでも、元気でいなくちゃ負けちゃうって思ってやっているだけで、心の中はまだぐちゃぐちゃだし夫も私もすっげー葛藤してんだよーー。表に出さないだけ、でね。

すみません、取り乱しました…(笑)
自分でも、当時は神経がピリピリしていたと思います。だから、些細なことも敏感に受け取ってしまうのでしょう。人に伝えるということは、こういうことにも対処することなんだ、と改めて認識しました。それに、お気付きかもしれませんが、私は結構カチンカチンくるタイプ。血気盛んな若い頃は怒りの沸点が低くて、それに比べたら「ずいぶん丸くなったね」なんて言われますが、表面でヘラヘラしながら心の中ではこんな毒も吐いていました。でなければ、正直やっていられません。

でも、怒った後って疲れませんか?また、凹んでいるときはエネルギーがだだ漏れするというか…力が沸かないというか。
負の感情のエネルギー消耗度といったらもう……病院から帰ってぐったりすることもありました。私もなんやかんやいっても50代、充電するにも時間がかかるようになりました。で、ふと気付くのです。こんなことに大事なエネルギーを使うのは損だな、と。そんなどうでもいいことにエネルギーを使うなら、本来使うべきことにエネルギーを使おう、と。ああ、エネルギーの無駄遣い。ああ、もったいないことした、と。

そう考えていくと、バカバカしく思えてくるから不思議なものです。もちろん感情なので、思うようにならないことだってあります。負の感情が溜まってくることもあります。そんなとき、私はひたすら独り言をつぶやいていました。病院から帰る道すがら、部屋の中、お風呂の中……誰もいないのにブツブツと。ちょっと(いえ、かなり?)危ない人物です(笑)でも、心にずっとしまっているよりも、実際口に出して吐き出してしまった方が後を引きません。心の中もデトックスしてスッキリしないと、身がもちませーん。

そんなことを続けていくとカチンと来る回数も減ってきて、「あはは…(また言われちゃった。でも、もう慣れたもんね)」→心の中でポイッ!と即捨て、以上!と割りきれるようになってきました。といっても、こうして書けるということは心の奥底で根にもっているのかもしれませんけれども…。そして、この言葉シリーズは続くのですけれども…ふふふ(笑)

3.「ん?何かヘンかも?」と思ったときは仕切り直しのチャンス

晴れて希望したB大学病院では胃と腸をつなぐ手術の日も決まり、それに合わせて夫は転院することになりました。

大学病院が忙しいのは百も承知しています。私が通っていた時も、待ち時間半日、診察10分なんてのはザラで、患者数が多いものねと理解していました。が、それにしても転院初日に暗くなっても担当医が顔を出さないというのは大学病院では普通なのでしょうか?
「お手すきのときにお話ししたいので…」とお願いしていても、です。きっとお手すきじゃないのだろうと100歩譲って我慢していましたが、一事が万事この状態は不安だなぁと思っていました。

この不安が決定的となったのは、手術の説明を受けたとき。
「えぇっと、ご主人様の場合はこのように開腹いたしまして、ここに腸ろうを着ける手術を行います。」…担当医という医師は、慣れていないのか自信なさそうな口調で、縦線2本(=胴みたいです)の真ん中に真っすぐ線を書いていきます。(なんじゃそら?幼稚園児だってもう少しまともな絵が描けるだろう)と思いながら、「は?開腹手術?前の病院では、体力温存を優先して腹腔鏡術でと伺っていましたが…こちらの病院では無理なのですか?」と聞くと、「がんの末期ですので、腹膜に転移しているかどうか確認するためです。」とのこと。

私「お腹開けたら体力消耗しちゃいませんか?ただでさえ、1カ月近く絶食ですし。それに、もし腹膜に転移していなかったら?」
担医「でも、末期がんですので念のために。」
私(念のためって何?さっきから答えになってないし。大丈夫?この人)「えぇっと、そしたらこの腸ろうはどういう意味が?」
担医「将来、食事ができなくなったときのためとして、今のうちに念のため。」
私(また、念のためかよ。念のためでイチイチお腹を開けるって勘弁してよ)「いえいえ、そもそもなんですけどね。私たちは、まず食事ができるようになりたいんです。そのためのバイパス手術であって、がんについては次の段階として考えていて…」

すると、担当医より少し後ろの位置に座っている先輩らしき医師が
先医「あの、ご主人様は手術しても食べられるようになるとは限りませんよ。」
私「はい?手術しても食べられないんですか?」
先医「ええ、その可能性もあるということです。ご主人様は末期ですから。」
私「食べられなければ、がんの治療はどうなんですか?難しくなるのでは?」
先医「そうなることもありますよねぇ。末期ですしね。」

…ていうかさぁ、さっきから聞いていれば、本人を目の前にして
末期、末期って、うるせーーーよっ!
こっちは、これから頑張ろうと思ってるんだよっ!
言葉にこそ出しませんでしたが、ブッチーンと切れました。
もういい。この人たちと話をすればするだけ、隣で聞いている夫を傷付け絶望させてしまうことになるのでこれ以上話したくもありません。

もちろん、この手術に同意できるわけもなく「サインはできません」とお断り。こちらからお願いしておきながらお断りとは、前代未聞かもしれませんが、譲れないものは譲れない。体力にも影響する手術だけに、納得できないことへのサインはできません。それに、末期だから何やっても無駄的な口ぶりだし言葉に「心」がまったく見られない、と感じるのは私だけでしょうか?こういう世の中ですから、リスクヘッジしたいこともわかります。でも、医師自らが患者に絶望感を与えるような発言は本末転倒。明らかなコミュニケーション不足を痛感しました。

そして、私たちは病室に戻って「この先、どうするか?」を話し合いました。が、夫は「もうなんだっていいよ……」と投げやりです。ああぁ、いわんこっちゃない。でも、こういうときこそ家族の出番!?ここは私自身も冷静にならないとイケマセン。
いやいやいや、気持ちはわかるけれども、そこはちゃんと向き合おうよ。体裁も何も関係ないし、そんなのどうにでもなるし、今ならまだ間に合う。大袈裟な言い方だけど、「さっきの先生に、自分の命を預けられる?どの先生なら、信じられる?」…その視点で考えよう。
出した結論は「早くここを出て戻ろう」。……私は翌朝すぐに、A病院に戻るための転院手続きを進めました。

ちなみに、ちょうどその頃病室では週1回行われる院長様回診があったそうです。『白い巨塔』のシーンさながらの大名行列といったところでしょうか。面会時間外ですので、私は残念ながらそのシーンを拝見できなかったのですが、、、

院「どうですか?食事は摂れていますか?」
夫(は?何言っちゃってるの?)「いえ、絶食中ですけど…」
院「そうですか。食べられなくなっちゃったかなぁ?」
夫(アホか?わかってないにもほどがある。というか、カルテも見てないの?)「…………」
チーン!
ええっと、この院長様って確か外科の教授様でもありましたよね?何、このトンチンカンなやりとり。あまりにも間抜けすぎて、『白い巨塔』の財前五郎もお嘆きでしょう。

また、同じ日の午後、私は准教授様という医師から「キャンセルする理由を聞きたい」と呼び出されました。私も一応大人ですから、こちらから希望しておきながらという点は丁重にお詫びしました。準備もしてくださったことでしょうし、受け入れてくれたことについては感謝を示したうえで、手術辞退と戻りたい理由を洗いざらい話しました。
そして、話の流れで「余命は伝えていない」と言ったところ、「今朝、院長回診でご主人様にお会いしましたが、しっかりと受け止められる方だとお見受けしましたよ。そういう方に、余命を伝えないのはご本人のためになりません。伝えた方がいいですよ。」とご丁寧にアドバイスまでいただいてしまい、私は苦笑するしかありませんでした。うわーん、ダメだ、こりゃ。

えっと、わずか5分もいないのに?しかも、直接会話をしていないのに?一体夫の何がわかるというのでしょうか?あなたは、透視能力でもお持ちなのでしょうか?……突っ込んでみたい気持ちもありましたが、こういう人と話していること自体時間の無駄。こういう感覚の上司だから、ああいう部下が育ってしまうのも仕方がないのかもしれないですね。お気の毒、とさえ思えてきました。

そうはいっても、現実を突きつけられた、という思いもありました。もちろん、大学病院すべてがそうだと決めつける気はありませんし、批判する気もありません。こちらの大学病院にも、気持ちの通じる医師はいらっしゃるのだろうと思います(そう思いたいです)。今回のケースは、私たちと相性が合わなかっただけ、なのだと思います。
でも、これで「大学病院に行っていれば…」も「吉方位に行っていたら…」という迷いもすっきり。大学病院押しの義兄にも納得していただき、大手を振っての出戻りとなりました。

がんに限らず大きな病気になると、どの病院に行こう?と迷う方は多いと思います。でも、それ以上に大事なのは「どんな医師」に診ていただくか?で、「相性が合うor合わない」は患者本人はもちろん家族にとっても大きいと実感しました。
それに、戻れる病院があった私たちはむしろラッキーな方。ですから、安易に「嫌だったら我慢しないで、とっとと病院を変えた方がいいよ。」なんてことを言うつもりはありません。それも縁だったり、タイミングだったり、いろいろな条件があってこそ。

ただ、疑心暗鬼のまま物事を進めるのは後悔や迷いに繋がってしまいますし、大事なことさえ見失ってしまう危険性があるような気がするのです。心の中で「ん?」「おかしいのでは?」という違和感があるときこそ、一度立ち止まってみることも必要。ピンチ!と思ったことが、実はいろいろなことを考えるきっかけになることだってあります。なので、仕切り直し上等!なのです(笑)