3.「ん?何かヘンかも?」と思ったときは仕切り直しのチャンス

晴れて希望したB大学病院では胃と腸をつなぐ手術の日も決まり、それに合わせて夫は転院することになりました。

大学病院が忙しいのは百も承知しています。私が通っていた時も、待ち時間半日、診察10分なんてのはザラで、患者数が多いものねと理解していました。が、それにしても転院初日に暗くなっても担当医が顔を出さないというのは大学病院では普通なのでしょうか?
「お手すきのときにお話ししたいので…」とお願いしていても、です。きっとお手すきじゃないのだろうと100歩譲って我慢していましたが、一事が万事この状態は不安だなぁと思っていました。

この不安が決定的となったのは、手術の説明を受けたとき。
「えぇっと、ご主人様の場合はこのように開腹いたしまして、ここに腸ろうを着ける手術を行います。」…担当医という医師は、慣れていないのか自信なさそうな口調で、縦線2本(=胴みたいです)の真ん中に真っすぐ線を書いていきます。(なんじゃそら?幼稚園児だってもう少しまともな絵が描けるだろう)と思いながら、「は?開腹手術?前の病院では、体力温存を優先して腹腔鏡術でと伺っていましたが…こちらの病院では無理なのですか?」と聞くと、「がんの末期ですので、腹膜に転移しているかどうか確認するためです。」とのこと。

私「お腹開けたら体力消耗しちゃいませんか?ただでさえ、1カ月近く絶食ですし。それに、もし腹膜に転移していなかったら?」
担医「でも、末期がんですので念のために。」
私(念のためって何?さっきから答えになってないし。大丈夫?この人)「えぇっと、そしたらこの腸ろうはどういう意味が?」
担医「将来、食事ができなくなったときのためとして、今のうちに念のため。」
私(また、念のためかよ。念のためでイチイチお腹を開けるって勘弁してよ)「いえいえ、そもそもなんですけどね。私たちは、まず食事ができるようになりたいんです。そのためのバイパス手術であって、がんについては次の段階として考えていて…」

すると、担当医より少し後ろの位置に座っている先輩らしき医師が
先医「あの、ご主人様は手術しても食べられるようになるとは限りませんよ。」
私「はい?手術しても食べられないんですか?」
先医「ええ、その可能性もあるということです。ご主人様は末期ですから。」
私「食べられなければ、がんの治療はどうなんですか?難しくなるのでは?」
先医「そうなることもありますよねぇ。末期ですしね。」

…ていうかさぁ、さっきから聞いていれば、本人を目の前にして
末期、末期って、うるせーーーよっ!
こっちは、これから頑張ろうと思ってるんだよっ!
言葉にこそ出しませんでしたが、ブッチーンと切れました。
もういい。この人たちと話をすればするだけ、隣で聞いている夫を傷付け絶望させてしまうことになるのでこれ以上話したくもありません。

もちろん、この手術に同意できるわけもなく「サインはできません」とお断り。こちらからお願いしておきながらお断りとは、前代未聞かもしれませんが、譲れないものは譲れない。体力にも影響する手術だけに、納得できないことへのサインはできません。それに、末期だから何やっても無駄的な口ぶりだし言葉に「心」がまったく見られない、と感じるのは私だけでしょうか?こういう世の中ですから、リスクヘッジしたいこともわかります。でも、医師自らが患者に絶望感を与えるような発言は本末転倒。明らかなコミュニケーション不足を痛感しました。

そして、私たちは病室に戻って「この先、どうするか?」を話し合いました。が、夫は「もうなんだっていいよ……」と投げやりです。ああぁ、いわんこっちゃない。でも、こういうときこそ家族の出番!?ここは私自身も冷静にならないとイケマセン。
いやいやいや、気持ちはわかるけれども、そこはちゃんと向き合おうよ。体裁も何も関係ないし、そんなのどうにでもなるし、今ならまだ間に合う。大袈裟な言い方だけど、「さっきの先生に、自分の命を預けられる?どの先生なら、信じられる?」…その視点で考えよう。
出した結論は「早くここを出て戻ろう」。……私は翌朝すぐに、A病院に戻るための転院手続きを進めました。

ちなみに、ちょうどその頃病室では週1回行われる院長様回診があったそうです。『白い巨塔』のシーンさながらの大名行列といったところでしょうか。面会時間外ですので、私は残念ながらそのシーンを拝見できなかったのですが、、、

院「どうですか?食事は摂れていますか?」
夫(は?何言っちゃってるの?)「いえ、絶食中ですけど…」
院「そうですか。食べられなくなっちゃったかなぁ?」
夫(アホか?わかってないにもほどがある。というか、カルテも見てないの?)「…………」
チーン!
ええっと、この院長様って確か外科の教授様でもありましたよね?何、このトンチンカンなやりとり。あまりにも間抜けすぎて、『白い巨塔』の財前五郎もお嘆きでしょう。

また、同じ日の午後、私は准教授様という医師から「キャンセルする理由を聞きたい」と呼び出されました。私も一応大人ですから、こちらから希望しておきながらという点は丁重にお詫びしました。準備もしてくださったことでしょうし、受け入れてくれたことについては感謝を示したうえで、手術辞退と戻りたい理由を洗いざらい話しました。
そして、話の流れで「余命は伝えていない」と言ったところ、「今朝、院長回診でご主人様にお会いしましたが、しっかりと受け止められる方だとお見受けしましたよ。そういう方に、余命を伝えないのはご本人のためになりません。伝えた方がいいですよ。」とご丁寧にアドバイスまでいただいてしまい、私は苦笑するしかありませんでした。うわーん、ダメだ、こりゃ。

えっと、わずか5分もいないのに?しかも、直接会話をしていないのに?一体夫の何がわかるというのでしょうか?あなたは、透視能力でもお持ちなのでしょうか?……突っ込んでみたい気持ちもありましたが、こういう人と話していること自体時間の無駄。こういう感覚の上司だから、ああいう部下が育ってしまうのも仕方がないのかもしれないですね。お気の毒、とさえ思えてきました。

そうはいっても、現実を突きつけられた、という思いもありました。もちろん、大学病院すべてがそうだと決めつける気はありませんし、批判する気もありません。こちらの大学病院にも、気持ちの通じる医師はいらっしゃるのだろうと思います(そう思いたいです)。今回のケースは、私たちと相性が合わなかっただけ、なのだと思います。
でも、これで「大学病院に行っていれば…」も「吉方位に行っていたら…」という迷いもすっきり。大学病院押しの義兄にも納得していただき、大手を振っての出戻りとなりました。

がんに限らず大きな病気になると、どの病院に行こう?と迷う方は多いと思います。でも、それ以上に大事なのは「どんな医師」に診ていただくか?で、「相性が合うor合わない」は患者本人はもちろん家族にとっても大きいと実感しました。
それに、戻れる病院があった私たちはむしろラッキーな方。ですから、安易に「嫌だったら我慢しないで、とっとと病院を変えた方がいいよ。」なんてことを言うつもりはありません。それも縁だったり、タイミングだったり、いろいろな条件があってこそ。

ただ、疑心暗鬼のまま物事を進めるのは後悔や迷いに繋がってしまいますし、大事なことさえ見失ってしまう危険性があるような気がするのです。心の中で「ん?」「おかしいのでは?」という違和感があるときこそ、一度立ち止まってみることも必要。ピンチ!と思ったことが、実はいろいろなことを考えるきっかけになることだってあります。なので、仕切り直し上等!なのです(笑)