7.手術当日、お姑さんの強さを見て知るそれぞれの役割

手術当日は、お義母さんとお義兄さんが田舎から出てきてくれました。
4月1日10時~手術でしたので9時に直接病院で…という段取りでしたが、8時前に携帯が鳴って「もう着いたよ」……ええええ!?着の身着のまま大慌てで私も病院にダッシュです。こういうとき病院が近いと、助かります。

夫が無口ということはすでにお話ししてきましたが、お義母さんもお義兄さんも口数は多くない人。そこにいた誰もが心配で仕方なかったのでしょうが、シーンと静まり返っているのも居心地が悪いものです。ふと夫の足元を見ると、血栓症を予防するため医療用の弾性ストッキングを履いていました。

「ぷっ!バレリーナみたいな脚だし」「しょうがないじゃん。コレ履いてみ?かなりキツイんだから」「ごめんごめん。これも貴重な経験ってことで…でも、ウケる。ちょっと写真…」「やめろー」「いいじゃん。お願い、1枚だけ」「やーめーろー」なんてフザケている間に、看護師さんが迎えに来ました。ああ、こういうときでもフザケちゃう私って一体…。

「よし。じゃあ、行ってくるか」自分で自分を奮い立たせようとつぶやく夫の手を取って、「はい、お義母さんからパワー注入」「はい、お義兄ちゃんからもパワー注入」と手を握っていただきました。そうでもしないと、母と息子が、兄と弟が手を握る機会ってないですものね。私はいつも病院から帰るときと同じようにグーを出して「ぜってー、負けねえ」、「ぜってー、帰ってくる」と夫のグーとカチンと合わせて見送りました。(※EXILE大好きな私たちのお決まり挨拶です)

そこからの約4時間はとても長かったです。手術中は途中で何かあったときのために、誰か一人は必ず院内に待機しなければなりません。腰の悪いお義母さんは長時間座っていられないため、お義母さんのことはお義兄さんにお願いして私が残ることにしました。といっても、飲み物以外ノドを通らないし、スマホの画面も持参した本の文字も全く頭に入ってきません。「こっちがエコノミー症候群になりそうだわ」と思いながらも、ただひたすら待合室でじーーーっと座ったまま心ここにあらず、な状態でした。

名前を呼ばれて、手術室に連れて行っていただいたのが13時半過ぎくらい。少し前に夫を見送った扉の向こう側は冷んやりしていて、「へえ~、ここが手術室か」とキョロキョロしていると(←緊張していても、ヘンな余裕もある私の謎行動!?)手術を終えたばかりの先生がやって来ました。「もうすぐ麻酔から覚めると思いますが、手術は成功です。癒着もなかったし、腹膜播種もみられませんでしたので、予定通り腹腔鏡のみでいけましたよ」…先生の言葉にふっと肩の力が抜けました。

リカバリールームに戻ってきた夫は麻酔でまだぼんやりしていましたが、「お帰りなさい。手術は成功だって。やったね、お疲れさま♪」の声掛けにピースサインで答えていました。そして、病室に戻ってきたお義母さんは言葉にこそ出しませんが、「よかった、よかった」と語りかけるように夫の手をずっと撫でている姿に涙が出そうになった私は、「買い物に行ってくるね」と病室を抜け出しました。母は強し、と思った瞬間で、親子水入らずの貴重な時間。ここはお義母さんにお願いして、外の空気を吸いに行きました。

お姑さんと嫁の関係って、世間ではいろいろと難しいといわれます。私の場合は次男の嫁という立場で、しかも離れて暮らしていることもあって比較的良い関係を築けている方だと思います。しかし、今でこそこんな話ができますが、実は結婚10年目くらいのときにあることがきっかけで夫の実家と5年くらい疎遠になっていた期間があります。お義父さんの病気を境に関係を修復できたのですが、このとき初めてお義母さんとぶっちゃけトークをしました。フタを開けてみれば何てことなく、「な~んだ、もっと早く話していれば良かったよね」という明らかなコミュニケーション不足。亭主関白なおウチだったので、お義母さんと話す機会が少なかっただけだったんです。

そこからは、お義母さんもぶっちゃけるし、私もぶっちゃける。今でも実家へ行ったら、時間を忘れるくらい延々とおしゃべりできる関係でいられるのは有難いことで、「あのとき修復できていなかったら、どうなっていたのだろう」と考えることがあります。悲しい出来事でしたが、きっかけをつくってくれたお義父さんに感謝。「話してみればいいじゃん」と間を取り持ってくれた夫にも感謝です。

それに、いくつになっても母は母。どう頑張ったところでお義母さんの代わりはできないですし、子供のいない私は親としての気持ちを想像できても100%理解することはできません。逆も同じで、お義母さんが私の代わりをすることはできないでしょう。違っていて当たり前だし、それぞれがそれぞれの立場でできること、思うことがあるのもごくごく自然な話。もちろん、その領域にズカズカと土足で踏み込まないのはお約束で、最低限のルール。それが適度な距離、なのかもしれません。

そこさえ守ってさえいれば、ありのままの自分でいいと思うのです。「私が、私が」と出しゃばる必要もないし、「私なんて」と悲観する必要もない。大ヒットした歌ではないですが、「ありの~ままの~姿見せるのよ~♪」そんな気持ち。だから、私がいつものようにフザケて、少しでもその場が和んで笑ってくれたら本望。笑う門には福来るっていうでしょ?いくらでも笑わせまっせ♪という思いは、今も変わりません(笑)

といっても、なかには「私が、私が」と距離感のわからない困ったさんがいることも事実。私の友達やお世話になっている奥様も、ご主人が大変なときにこの手のタイプにやられて参った、という話を聞いています。どこにでもいるんです、そういう人が。こういう人への対処については改めて別の機会に書こうと思いますが、心の底から「逃げてーーー!」と言いたいです。ちなみに私は……逃げました(笑)ただでさえ疲れる相手なのに、よりによってなぜ今?マジ勘弁して。こっちはそれどころじゃないんです、とシャッターガラガラです。

さて、お腹に1cmくらいの小さな穴を5箇所(確か…)開けた夫は、その後の傷口の状態も順調で翌日には一般病棟に戻って歩かされます。これが結構辛いらしく、寝返りするにも起き上がるにも全て腹筋を使うため「ッ……アタタ…」となってしまいます。ベッドから立ち上がるのにも腹筋、座るのも腹筋、咳やくしゃみをするにも腹筋…人間の体は無意識のうちに腹筋を使っているのですよね…。