11.「重湯がまずい」…子供のように駄々をこねる夫

その後の夫についてほったらかしになってしまいましたので、ちょっと軌道修正して夫の術後についてお話します。

約1カ月間の絶食生活を経て、胃と腸をダイレクトに繋げる胃空調バイパス手術も無事に終わりました。
術後2日目(だったような…記憶があいまいですみません)には、待望の食事が運ばれてくることに。
さあ、これからモリモリ食べて、体力もつけて本腰入れてがんと向き合うぞー!
…といいたいところですが、物事には順序があります。

約1カ月間水分とアメしか口にできなかった夫ですので、重湯からスタートなのですが、これが「まずい」と言って食べてくれません。
重湯だからね。そんなに美味しいものじゃないのは知ってるよ。
でも、それでも食べなくちゃじゃん。
ずっと重湯じゃないんだし、これから今まで通りゴハンを食べるためにもね。
……もうあの手この手で何とか食べてもらおうとしても、ほんの4~5口運んだだけで「もういい」「片付けて」と残します。

子供かーー!?
子供の方が、多分もう少し聞き分けがいいと思うぞ!
…と言いたい気持ちをグッと堪えて(笑)
「じゃあ、私も食べてみるから」と夫の目の前で重湯を完食して見せても、「おいしくない」「やだ」と。
※病院スタッフの方には、私が食べた量を報告しています。

夫は料理人といっても、美食家というわけではありません。
といっても、ぽや~んとした味が好きじゃないのは事実。重湯用にお塩も付いてきましたが、それでもぽや~ん。
わかるよ、あなたがこういう味を好きじゃないことも。食欲が沸かなくなることも…でもね、それでは困るのですわ。

それにしても、どうしたのだろう?
こんな聞き分けのない人じゃなかったはずなんですけどね。
言葉にこそ出しませんが、まだ夫は現実を受け止めきれない精神状態なのかもしれません。

こういうときは、看護師をしていた我が母に聞くのが一番いい。
助産師でもあった母は産婦人科専門だったけれど、彼女ならもう少し説得できそうなトークを持っているかもしれない。

そして、母から夫宛に届いたメール。

「○○ちゃん、手術お疲れ様。大変だったね。
ところで、人間の身体は、絶食した日数と同じ日数だけ回復に時間がかかるの。
○○ちゃんの場合は1カ月も絶食しているし、手術もしているから、尚更身体を労わりながら食べないといけない。
赤ちゃんが離乳食を始めるように、1口を少量にして時間をかけてゆっくりゆっくり。
重湯はまずいだろうけど、炭水化物やたんぱく質とかブドウ糖の点滴よりはるかに高い栄養価があるの。神経細胞、赤血球、白血球を作るための栄養素だから、どうか嫌がらずに食べて下さい。
今食べたものが腸で吸収されて、血になるんだ、細胞に届くんだとイメージしながら食べるとちゃんと身体に届くから。
辛いだろうし、イライラするだろうけど、今が踏ん張り時よ」
※誤字脱字やヘンな言い回しは直しています

母もよくこんな長い文を打って、送ってくれたと思います。
ちょっと説教くさいですし、この手の話になると独特な世界感になるのですが、一応専門家ですからね。
それにしても、赤ちゃんの離乳食に例えてくるとは……さすがっすね(笑)

しかも、その数時間後に「どうしてもまずかったら、一緒に出ているコーンスープをかけて味付けしちゃうといいわよ(ハート)」と、おばあちゃんの知恵袋的なアドバイスも。

それからの夫は、重湯に付け合わせのコーンスープをドバーッとかけて食べてくれるようになりました。
私の母に気を遣ってくれているのかもしれませんが、まぁまぁ食べてくれれば良しとしましょう。
食事もあれよあれよという間に重湯からお粥になっていき、食事の量も日毎に増えていきます。

ただし、どうしても「これはいいや」と拒絶してたのがコレ。

食事だけではどうしても不十分になりやすい栄養素を摂るための流動食「クリミール」。
確かに、そんな美味しいものじゃ~ありません。パックなので冷蔵庫に入れて取っておけるのですが、朝・昼・晩と1日3回出るのでどんどん溜まっていく一方に。

コレが、毎日の病院通いで自分の食事もテキトーになり栄養が偏りまくっている私の高栄養流動食になっていたのはいうまでもなく。
病院へ行ったら、「さ~て、今日は何味を飲もうかな?」と栄養ドリンクを飲むかのごとく「クリミール」をゴクゴク。そんな私を見て、「よくそんなの飲めるね」と呆れ顔の夫。

えええええ!?そもそも何で私がコレを飲んでいるんでしたっけ?それに、私がそんなに栄養を摂ってどうすんじゃーい(笑)

7.手術当日、お姑さんの強さを見て知るそれぞれの役割

手術当日は、お義母さんとお義兄さんが田舎から出てきてくれました。
4月1日10時~手術でしたので9時に直接病院で…という段取りでしたが、8時前に携帯が鳴って「もう着いたよ」……ええええ!?着の身着のまま大慌てで私も病院にダッシュです。こういうとき病院が近いと、助かります。

夫が無口ということはすでにお話ししてきましたが、お義母さんもお義兄さんも口数は多くない人。そこにいた誰もが心配で仕方なかったのでしょうが、シーンと静まり返っているのも居心地が悪いものです。ふと夫の足元を見ると、血栓症を予防するため医療用の弾性ストッキングを履いていました。

「ぷっ!バレリーナみたいな脚だし」「しょうがないじゃん。コレ履いてみ?かなりキツイんだから」「ごめんごめん。これも貴重な経験ってことで…でも、ウケる。ちょっと写真…」「やめろー」「いいじゃん。お願い、1枚だけ」「やーめーろー」なんてフザケている間に、看護師さんが迎えに来ました。ああ、こういうときでもフザケちゃう私って一体…。

「よし。じゃあ、行ってくるか」自分で自分を奮い立たせようとつぶやく夫の手を取って、「はい、お義母さんからパワー注入」「はい、お義兄ちゃんからもパワー注入」と手を握っていただきました。そうでもしないと、母と息子が、兄と弟が手を握る機会ってないですものね。私はいつも病院から帰るときと同じようにグーを出して「ぜってー、負けねえ」、「ぜってー、帰ってくる」と夫のグーとカチンと合わせて見送りました。(※EXILE大好きな私たちのお決まり挨拶です)

そこからの約4時間はとても長かったです。手術中は途中で何かあったときのために、誰か一人は必ず院内に待機しなければなりません。腰の悪いお義母さんは長時間座っていられないため、お義母さんのことはお義兄さんにお願いして私が残ることにしました。といっても、飲み物以外ノドを通らないし、スマホの画面も持参した本の文字も全く頭に入ってきません。「こっちがエコノミー症候群になりそうだわ」と思いながらも、ただひたすら待合室でじーーーっと座ったまま心ここにあらず、な状態でした。

名前を呼ばれて、手術室に連れて行っていただいたのが13時半過ぎくらい。少し前に夫を見送った扉の向こう側は冷んやりしていて、「へえ~、ここが手術室か」とキョロキョロしていると(←緊張していても、ヘンな余裕もある私の謎行動!?)手術を終えたばかりの先生がやって来ました。「もうすぐ麻酔から覚めると思いますが、手術は成功です。癒着もなかったし、腹膜播種もみられませんでしたので、予定通り腹腔鏡のみでいけましたよ」…先生の言葉にふっと肩の力が抜けました。

リカバリールームに戻ってきた夫は麻酔でまだぼんやりしていましたが、「お帰りなさい。手術は成功だって。やったね、お疲れさま♪」の声掛けにピースサインで答えていました。そして、病室に戻ってきたお義母さんは言葉にこそ出しませんが、「よかった、よかった」と語りかけるように夫の手をずっと撫でている姿に涙が出そうになった私は、「買い物に行ってくるね」と病室を抜け出しました。母は強し、と思った瞬間で、親子水入らずの貴重な時間。ここはお義母さんにお願いして、外の空気を吸いに行きました。

お姑さんと嫁の関係って、世間ではいろいろと難しいといわれます。私の場合は次男の嫁という立場で、しかも離れて暮らしていることもあって比較的良い関係を築けている方だと思います。しかし、今でこそこんな話ができますが、実は結婚10年目くらいのときにあることがきっかけで夫の実家と5年くらい疎遠になっていた期間があります。お義父さんの病気を境に関係を修復できたのですが、このとき初めてお義母さんとぶっちゃけトークをしました。フタを開けてみれば何てことなく、「な~んだ、もっと早く話していれば良かったよね」という明らかなコミュニケーション不足。亭主関白なおウチだったので、お義母さんと話す機会が少なかっただけだったんです。

そこからは、お義母さんもぶっちゃけるし、私もぶっちゃける。今でも実家へ行ったら、時間を忘れるくらい延々とおしゃべりできる関係でいられるのは有難いことで、「あのとき修復できていなかったら、どうなっていたのだろう」と考えることがあります。悲しい出来事でしたが、きっかけをつくってくれたお義父さんに感謝。「話してみればいいじゃん」と間を取り持ってくれた夫にも感謝です。

それに、いくつになっても母は母。どう頑張ったところでお義母さんの代わりはできないですし、子供のいない私は親としての気持ちを想像できても100%理解することはできません。逆も同じで、お義母さんが私の代わりをすることはできないでしょう。違っていて当たり前だし、それぞれがそれぞれの立場でできること、思うことがあるのもごくごく自然な話。もちろん、その領域にズカズカと土足で踏み込まないのはお約束で、最低限のルール。それが適度な距離、なのかもしれません。

そこさえ守ってさえいれば、ありのままの自分でいいと思うのです。「私が、私が」と出しゃばる必要もないし、「私なんて」と悲観する必要もない。大ヒットした歌ではないですが、「ありの~ままの~姿見せるのよ~♪」そんな気持ち。だから、私がいつものようにフザケて、少しでもその場が和んで笑ってくれたら本望。笑う門には福来るっていうでしょ?いくらでも笑わせまっせ♪という思いは、今も変わりません(笑)

といっても、なかには「私が、私が」と距離感のわからない困ったさんがいることも事実。私の友達やお世話になっている奥様も、ご主人が大変なときにこの手のタイプにやられて参った、という話を聞いています。どこにでもいるんです、そういう人が。こういう人への対処については改めて別の機会に書こうと思いますが、心の底から「逃げてーーー!」と言いたいです。ちなみに私は……逃げました(笑)ただでさえ疲れる相手なのに、よりによってなぜ今?マジ勘弁して。こっちはそれどころじゃないんです、とシャッターガラガラです。

さて、お腹に1cmくらいの小さな穴を5箇所(確か…)開けた夫は、その後の傷口の状態も順調で翌日には一般病棟に戻って歩かされます。これが結構辛いらしく、寝返りするにも起き上がるにも全て腹筋を使うため「ッ……アタタ…」となってしまいます。ベッドから立ち上がるのにも腹筋、座るのも腹筋、咳やくしゃみをするにも腹筋…人間の体は無意識のうちに腹筋を使っているのですよね…。

6.食事ができるようになるための胃空調バイパス手術

夫のケースは、手術不可能&十二指腸に浸潤しているので放射線治療も不可能&肝転移アリでしたので、やれることといえば化学療法のみ。でも、その目的はがんの進行を少しでも遅らせることです。が、抗がん剤をやるにも体力が必要で、食事が摂れないことには次のステップに進めません。(夫の詳しい症状はコチラをどうぞ)

B大学病院から出戻った夫に対して、担当医の先生はすぐに胃と腸をつなげるバイパス手術を準備してくださっていました。この先生はやることなすことすべてが早く、このスピード感も私たちが気に入っていたことのひとつ。ですが、出戻り翌日に手術というのはさすがに驚きました。聞くと、「だって、B大学病院の手術予定日が4月1日だったでしょ?だから、同じ日に突っ込んじゃいましたから(キリッ)」……突っ込んじゃいましたって、そんな簡単に手術って入れられるの?と思いつつも、1日でも早くゴハンを食べたい夫としては有難いことこのうえなしです。

夫が受けた手術の正式名称は、「腹腔鏡補助下胃空調バイパス手術」というもの。
大量出血の原因となった十二指腸の腫瘍部分に食べ物を通さないために、腹腔鏡によって胃と腸をダイレクトに繋ぎあわせる手術です。夜には手術そのものの説明やリスクの他にも、次のような説明を受けました。

・予定は腹腔鏡下でも、癒着など実際の所見次第では開腹術に切り替えることもあること。
・現段階では胆管の詰まりは大丈夫そうだけれども、すい臓がんは胆管が詰まりやすい。状態によって、胆管と腸をつなげる必要がある場合(胆管空腸吻合)はお腹を開ける。
などなど。

こちらは手術説明・同意書(患者控え)の裏なのですが、先生が説明しながらボールペンでパパッと描いてくださったもの。

がん告知のときもそうでしたが、この先生は説明が丁寧でわかりやすい。それに、絵が上手い。以前、何かの記事で「腕のいい外科医は絵が上手い」という内容を読んで目からウロコだったことを思い出し、先生への期待感が高まったのは言うまでもありません。

といっても、私たちはど素人です。特に、今回の夫のことに関しては「納得できるまで何でも聞く」と私自身が決めていましたので、素人なりでも自分で調べて疑問に思ったことはどんなことでも手帳にメモしたり、調べてもわからないことはプリントアウトしていつでも質問できるように準備もしていました。

それに、折しもこの時期は群大の腹腔鏡手術のことがニュースで話題になっていたとき。今回の手術を調べてみると、難易度は低いようですし、やっぱり開腹手術はできるだけ避けたい。といってもご時世的に、「腹腔鏡」というだけでビビッてしまうのも素人ゆえの心理。黙っていられない私の性格上、こんなことまで聞いてしまいました。

「あのー、ぶっちゃけ腹腔鏡ってリスク高いのですか?」
「リスクは手術の内容によって違いますね。ご主人の場合はよくある手術のひとつですし、危険なものではないですよ。また、どうして?(奥さん、いろいろ調べてわかってるでしょう?的なニュアンス)」
「ええ、一応私も調べて理解してみたのですが、今騒がれている群大の件があるし気になっちゃって…」
「あ~、アレね。はははは、ご主人のとは全く別。まぁ、心配しちゃう気持ちはわかりますし、どんな手術でもリスクなしというのはないわけで。でも、今回のはウチの病院でも症例数は多いし、心配しなくて大丈夫!」
「それを聞いて安心しました。いえね、腹腔鏡=危険という報道ばかり目にしてつい。あはは、すみませーん。変なこと聞いちゃって…。」
「いえいえ、少しでも不安なことがあったら何でもどうぞ。はい(o^―^o)」

思い返せば、我ながらずいぶんバカで失礼な質問をしたな、と思います(笑)でも、このときは真剣だったのも事実で、ちょっとしたモヤモヤもクリアにしたいという気持ちの方が勝っていました。この先生だからこそ話しやすかったというのもありますが、「こんなことを聞いたら怒られるかな?」「こんなことを聞いたらバカだと思われるかな?」という気持ちよりも「わからないので教えてください」という気持ち。

見方によっては、“面倒な患者家族”だったかもしれません。でも、心のどこかで「たとえ小うるさいと思われても、私が思われる分にはどうでもいいや」という開き直り(?)もあった気がします。その一方で、相手の時間を使って教えていただくからには自分もちゃんと調べて少しでも知識を増やす、ということも心がけました。もちろん、知ったかぶりをする気はさらさらなくて、あくまでも夫のすい臓がん対策プロジェクトに「参加させていただく」という姿勢が基本。そんな私に快く応えてくださった担当医の先生には、心から感謝しています。

さあ、約1カ月近く続いた絶食ももうすぐ終わり。痛い思いはしちゃうけれども、もうすぐ…もうすぐだからね。そして、「どうか明日の手術が、腹腔鏡だけで済んで開腹になりませんように…」と祈ることしかできませんでした。