10.「ごめん」という夫にどう接したらいいのだろう

麻央さん絡みのお話が続いて恐縮ですが、私が彼女のブログの中で強く心に刺さったのが最初の頃に綴った「病気になってごめんなさい」という言葉でした。

病気になりたくてなる人なんて、誰ひとりとしていません。
がんになったことは、あなたのせいじゃない。あなたは何も悪くないよ。だから、謝らないで。
確かに「えらいこっちゃー!大変なことが起きたぞ」とは思います。でも、それと謝られるのは別で、家族は本人から謝られるとちょっと辛さが増してしまう……少なくとも私はそうでした。

夫は、何かあるごとに「ごめん」と言っていました。
「ごめん」という言葉に、当時の私はどこかマイナス的なイメージを持っていました。
これから手強いすい臓がんと折り合いをつけてもらうためにも、夫の心の中にあるマイナス要因を少しでも取り除きたかった、という気持ちが強かったです。
だから、私は「やだな~、何で謝るのよ~。○○ちゃん(夫の呼び名)は、何も悪いことしてないじゃーん。そこは、ごめんじゃなくて、ありがとうと言ってよ~」とフザケながら答えていました。

何度言っても「ごめん」と言われるたびに、「ほらー、またごめんって言う~。そこは、ありがとう~~♪」とSMAPの『ありがとう』の1フレーズを歌ってみたり。夫にはずいぶん「ありがとう」を強要をしたな、と思います。

今振り返ってみて、この返答はどうだったのだろう?自分の気持ちを押し付けていなかっただろうか?と思うときがあります。
そんなときに読んだ麻央さんの言葉だったので、「そっか……何はともあれ本人にとっては、ごめんなのか」……ガツンとやられた気持ちでした。
よくよく考えたら、もし私が夫の立場だったら、やっぱり「ごめんね」と言っちゃうと思います。ええ、間違いなく。

夫の「ごめん」は本心だろうし、思いやりだったと思うし、もっともっと深い意味があったような…。しかし、私は言われるのが辛くて、まともに答えていたら泣いてしまいそう。だから、それを誤魔化すように茶化すことしかできませんでした。

こんなとき、何と答えていたら良かったのでしょうね。
「本当だよ、だから○○ちゃんも負けないでね」……うーん、何だか違う。
海老蔵さんが麻央さんに言ったように「何だよ。家族なんだから、ずっと支え合うんだよ」……すごくいい言葉なんですけど、私には照れくさくて、とてもじゃないけど言えそうにもありません。(でも、1回くらいは素直になって言っても良かったかな)
いつもフザケているのが私だったから、明るく「No problem!」とか「全く問題ナッシング!」とニカッと笑って、親指でも立てておけば良かったかな。(注:中指じゃないですよ~ww)

日常のちょっとした会話って、難しいですね。
何気なく放った一言が、励みになることも、刃になることもあるのですから。
あまり神経質になっても、ギクシャクしてしまいますし…。
ドラマのような台詞で「お、今のなかなか良くない?」なんて言葉がでてくるのは、ほぼないです。

言葉も個性。キャラクターのひとつなのでしょう。
だから、あまり「らしくない」言葉や誰かの受け売りを使っても、言葉だけがフワフワ浮いて、相手に届かないような気もします。
どんな言葉をかけたらいいのか……きっと正解というのはないのかもしれません。
そう考えると、夫の「ごめん」は彼らしくて、私が返した言葉も私らしいということになるのでしょうか。

私が言い続けたことで、夫の「ごめん」はかなり減りました。
いえ、私が嫌がっているのを察して「ごめん」を使わなかったのかもしれないです。
しかし、旅立った後にサプライズで残された私へのビデオメッセージは、やっぱり「ごめんね」でした。もしも、ここで改まって「ありがとう」なんて言われたら、私の悲しみは増幅していたかもしれません。「だーかーらーー」という私の突っ込みをあえて狙った?…今はそう思うようにしています。

5.「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき

がんのことを周囲に知らせると、周りの方々はいろいろな声をかけてくださいます。
その多くは励みになったり、「ガンバロ!」と前向きな気持ちにさせていただける有難い言葉なのですが、ときにはその言葉によって傷付いたり腹が立つこともたま~にあります。相手の立場を考えてみれば、何の気なしに出てしまっただけで、言ったことも忘れてしまうくらい日常的なこと。悪気なんて全くない、ということもすっごーーくわかります。だからこそ、「え?」と思っても、無難な対応してその場をやり過ごそうとします。

それに、私も夫のことがなければ、無意識という名の免罪符のもと誰かを傷付けている(いた)のかもしれません。一度出してしまった言葉は、「なかったことに」できないですからね。だからこそ、言葉って本当に難しい…。といっても、「みんなー、がんだから気を遣ってね~」とか「言葉には、くれぐれも注意してね~」なんていう気はこれっぽちもありません。

どちらかというと、当事者だからこそ通じる「あるある話」。「なんだ、自分だけじゃないのね」と思って心を楽にしていただけたらいいな、と思います。なので、私が実際に言われて「はい?(は?ケンカ売ってんのか?)」「キツイなぁ、それ」「どうしてそういう言い方するかなぁ」と感じた言葉を小出しに挙げていこうと思いますが、まずは「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき。さすがに、夫に直接言っているのは見ていないです(知らないだけかもしれませんが…)が、私は何人かに言われて違和感のあった言葉です。

「本当にがんなの?」
「本当なんですよ。ウソだったらいいんですけどねぇ。あはは…(苦笑い)」

(心の声)ええ、私だってこれがウソであって欲しい、夢であって欲しい、と何度思ったかわからないってーの。でも、本当なんです。第一そんなウソ、つくわけないでしょ?そんなに信じられないのなら、担当医の先生でもご紹介しましょうか?ええ、ええ、間違いなく、が ん な ん で す けど何か?

「がんには見えないね」
「そうかもしれませんねぇ。それに、がんといっても症状はいろいろですから~。あはは…(苦笑い)」

(心の声)だから、何?もっと弱っていると思った?それって、がんの認識間違ってるからーー。確かに痛みもないし、激痩せしてるわけでもないけど、精神的には結構キツイのよ。それでも、元気でいなくちゃ負けちゃうって思ってやっているだけで、心の中はまだぐちゃぐちゃだし夫も私もすっげー葛藤してんだよーー。表に出さないだけ、でね。

すみません、取り乱しました…(笑)
自分でも、当時は神経がピリピリしていたと思います。だから、些細なことも敏感に受け取ってしまうのでしょう。人に伝えるということは、こういうことにも対処することなんだ、と改めて認識しました。それに、お気付きかもしれませんが、私は結構カチンカチンくるタイプ。血気盛んな若い頃は怒りの沸点が低くて、それに比べたら「ずいぶん丸くなったね」なんて言われますが、表面でヘラヘラしながら心の中ではこんな毒も吐いていました。でなければ、正直やっていられません。

でも、怒った後って疲れませんか?また、凹んでいるときはエネルギーがだだ漏れするというか…力が沸かないというか。
負の感情のエネルギー消耗度といったらもう……病院から帰ってぐったりすることもありました。私もなんやかんやいっても50代、充電するにも時間がかかるようになりました。で、ふと気付くのです。こんなことに大事なエネルギーを使うのは損だな、と。そんなどうでもいいことにエネルギーを使うなら、本来使うべきことにエネルギーを使おう、と。ああ、エネルギーの無駄遣い。ああ、もったいないことした、と。

そう考えていくと、バカバカしく思えてくるから不思議なものです。もちろん感情なので、思うようにならないことだってあります。負の感情が溜まってくることもあります。そんなとき、私はひたすら独り言をつぶやいていました。病院から帰る道すがら、部屋の中、お風呂の中……誰もいないのにブツブツと。ちょっと(いえ、かなり?)危ない人物です(笑)でも、心にずっとしまっているよりも、実際口に出して吐き出してしまった方が後を引きません。心の中もデトックスしてスッキリしないと、身がもちませーん。

そんなことを続けていくとカチンと来る回数も減ってきて、「あはは…(また言われちゃった。でも、もう慣れたもんね)」→心の中でポイッ!と即捨て、以上!と割りきれるようになってきました。といっても、こうして書けるということは心の奥底で根にもっているのかもしれませんけれども…。そして、この言葉シリーズは続くのですけれども…ふふふ(笑)