先月放送されたNHKのドキュメンタリー番組『ありのままの最期 末期がんの“看取(みと)り医師” 死までの450日』の2回目をようやく観終えました。
あまりにもストレートなタイトルで、そのままブログタイトルに使うのをためらったくらい。内容はそれ以上にヘビーでした。
夫の療養中に観たら衝撃が大きすぎて、軌道修正するのに時間がかかりそう。ズーンと重いものが残って、1回目は深夜に観たことを後悔しました。
賛否両論、いろいろと意見が分かれると思います。
旅立つ側の人、それを見送る側の人、立場によって感じることも変わりそうです。
僧侶でもあり、看取りのプロでもある田中雅博医師の生き様。
凄まじく、ご自身の肉体と魂をもって私たちに大きな宿題を投げかけて下さったような気がしてなりません。
ただ、私は途中から奥様である貞雅先生に違和感があったのも正直なところ。
「眠らせて欲しい」と望んでいるご主人に対して、「まだ死なせたくないの」となかなか持続的鎮静(プロポフォール)を開始しない。
がん患者語らいの集いの後、涙を流すご主人に「泣かないの」「そんな気弱になってどうするの」となだめつつ、「薬を使わないのはあなたが最期だと思っていないからだよ」と話す。
持続的鎮静を開始しても1日2回それを止めて、無理をしてでも動かそうとして「頑張れ」と言う。
観ているこっちが、辛くて苦しい思いになりました。
その行動って誰のため?
エゴになっていない?
あまりにもモヤモヤしたので、時間を空けてから2回目を改めて観てみました。
そこで感じたのは、貞雅先生は途中から「ご主人と別れたくない」という自分の想いが強くなってしまっただけなんだなぁ…ということ。
誰だって、長年一緒に連れ添ったパートナーと別れるのは辛くて悲しいです。1分でも1秒でも長く…と願います。阻止できるもののなら、断固として抵抗します。
でも、命の終わりを決めるのは神の領域。人間ができることって、限りがあるんですよね。
仕事柄これまで何人もの患者さんを見送ってきただけに、「今どういう状態なのか」一番わかっているのは貞雅先生ご自身です。
今、起きていることの意味が痛いほどわかってしまう……それゆえの葛藤なのでしょう。
でも、素人の場合こうはいきません。
先生から「今月いっぱいくらい」とか「年を越せるかどうか」とか、目安を言われてはじめて「死」を現実のものと意識します。
どこかで覚悟したり、気持ちを整理しはじめたり、無理してでも折り合いをつけようと、その日が来るまで何とか誤魔化そうとします。
その一方で、「そんなはずないよ」と根拠のない望みで不安を打ち消そうとしたり、痛みで苦しんでいる家族の姿があまりにも辛くて「早く楽にしてあげてください」と想いと反対のことを言ってしまう。
そのどれもが大好きな人を想うからこその反応で、愛情にはいろいろなカタチがある、と思います。
番組後半のインタビューで、「ここでお見送りした方は、みんな最後に話せた。だから、私たちも最後の会話ができると思っていたら、そうじゃなかった」とおっしゃっていました。
さらにその後、「医者でありながら、何で気付けなかったのだろう。このことは、一生悔いが残る」という言葉もありました。
また、生前ご主人は「DNR(心肺蘇生処置の拒否)」を希望してましたが、心臓マッサージをしてしまったそうです。
「あきらめないこと」と「執着」は、紙一重なんだなぁと思いました。
仏教では、「執着は捨てなさい」という教えです。執着は、悩みや苦しみの原因になるから。
貞雅先生は、ご主人と同じく医師であり、僧侶でもあります。
でも、看取ったときの貞雅先生は、医師でもなく、僧侶でもなく、妻というひとりの人間でしかなかった。
私が言うのも生意気な話ですけど、「抱えている後悔の念が、執着になってしまったんだろうな」……そんな気がしてなりません。
番組の結びに、「死はきれいごとではない。思い通りにいかないもの」というナレーションがありました。
ですよね……自分の経験からも、大きく頷いてしまいました。
そして、それは「死」の対局にある「生」にも同じことがいえそうです。
理想は、あくまでも理想。
多くの場合、理想と現実にはギャップがあります。
かといって、理想を持たないと毎日が何となくぽや~んとしてしまうのもの。ぽや~んと過ごしていたら、それもまた後悔に。
禅問答のようにグルグルしてきますが、きっと理想と現実を比べて「できていないこと」「ダメなところ」「弱い部分」にフォーカスしちゃうから落ち込んで苦しくなるのでしょうね。それは、人と比べるときも同じ。
できていないのなら、なぜできないのか?を考えればいい。ちょっと自分で工夫してできそうなら、やればいいだけ。結構ハードルが高そうだったら、できることからはじめればいい。「それって、どうにもならないや」と思ったら、一度捨ててみるのもアリ。
ダメな部分があってもいいじゃん、弱くたっていいじゃん……パーフェクトな人なんていないのだから。
こんな風に捉えてみると、少しだけ楽になれそうです。