17.FOLFIRINOXに向けた準備あれこれ

「FOLFIRINOXをやる」と決めた夫。
それに向けて、いろいろと準備がありました。

まず、CVポートの埋め込み(正確には「皮下埋め込み型ポート」というようです)。

すべての抗がん剤治療で行うのかどうか私は知りませんが、トータル50時間にも渡って薬剤を投与するFOLFIRINOX。
でも、CVポートを埋め込めば手足も自由に動かせるし、点滴漏れも防げるのだそう。
うんうん、父のときは抗がん剤こそしませんでしたが、普通の点滴をするだけでもルートが取れなくなって大変でした…。

埋め込みには手術が必要だそうですが、部分麻酔でちゃちゃっと終わるレベルとか。
「また手術か…」と言いながら、夫は面倒くさそうに同意書にサインをしていました。

そして、その手術は私が立ち会うまでもなく
本当にちゃちゃっと終わってしまいました。

いつものように、夕方になってのこのこ病院に行くと、「今日、ポート入れた。ここ…」と右の鎖骨部分を指差す夫。
見ると、鎖骨の少し下がぽこっと盛り上がっていて、そこはまだガーゼで覆われていました。
「ええええええ!?もう入れちゃったの?見たかったのにぃ~」と訳のわからないことを言いながら、盛り上がっている部分を指先で押してみたい衝動にかられて手を伸ばしたところ、「やーめーろー」という声。さすが夫、私の行動パターンをよくわかっています(笑)
部分麻酔だし、術後も痛くないらしく、ちょっと何かが入っている違和感があるくらいだとか。

他にも、薬剤師さんが病室に来てくださって、FOLFIRINOXの説明や注意点など、一通り抗がん剤のレクチャーを受けました。
優しい口調で美人の薬剤師さんからの説明で、夫は上機嫌。珍しいくらい積極的に質問もしていました。やっぱり男は美人に弱い…。ん?女だってイケメンには愛想良く振舞いますかね……ふふ、どっちもどっち、お互い様ってものです(笑)

この薬剤師さん、美人だけでなく、説明の仕方もわかりやすくてとても丁寧でした。
怖い怖い副作用のことも、さらっと笑顔で(マスクをしているので定かではありませんが)言ってのけます(笑)
実際に抗がん剤が始まる前から「不安なこと、ありませんか?」と何度か病室を訪ねてくださったり、抗がん剤1回目の当日にも顔を出してくださったほど。

もちろん、投与前の状態を知る採血はお約束ですが、いつものルーチンのなかでも何となく今までと違った空気を感じるように。
これから、一大プロジェクトがスタートする……実際に受けるのは夫ですが、それ以上に私の方が緊張してきました。

抗がん剤と聞くと、「ウッ!」と口を押えて枕元の洗面器に顔を埋めてウゲーっと吐いているイメージ。
FOLFIRINOXも吐き気の副作用は、マストのようです。
夫は、「吐き気が一番イヤだ」と言っていました。

私ができることといえば、買い物くらい。
いつ吐き気がきてもいいように小さな洗面器、何かのときに使える大・中のビニール袋、間に合わなかったときに向けて大量のタオル、鼻や口元用に使うための高級ティッシュ「鼻セレブ」も買わなくちゃ。

それから、夫はあまり毛深くなく、毛質が柔らかいため、ヒゲを剃るのはカミソリ派。抗がん剤によって血小板が少なくなるそうですし、万が一カミソリで傷をつくったら大変です。家電量販店にも行き、「ヒゲが柔らかくても引っかからずに痛くないものをください」と言って店員さんが薦めてくれた電気シェーバーまで買っていきました。

ただでさえ、狭いベット周辺。2カ月近い入院で、置いてあるグッズ類も増えています。
そこへもってきて、ちょこちょこ荷物を持ち込もうとする私に「また何か買ってきたの?」と呆れ顔の夫。電気シェーバーを「ジャーン!」と言って見せたら、「あのさ、抗がん剤中はヒゲなんて剃らねぇし……あなた、何か買いたかっただけでしょ?」
………チーン!完全に見透かされています。
ストレスや不安が重なると買い物をしてしまう、買い物依存症の方の気持ち、少しわかった気がしました。

さて、いよいよFOLFIRINOX第1回目の投与日は、2015年4月22日(水)に決まって、担当医の先生から「抗がん剤前に気分転換でもどーよ」と外出許可も出していただきました。

しかし、それを聞いたのは当日の午前中。いつものように寝たのが朝方でしたので、「うん?何か鳴ってる…」とLINEの着信音に起こされました。

私がまだ寝ていることをわかっている夫の必死さが伝わってきます(笑)

それに、夫が入院している間に、いつにも増して部屋はぐちゃぐちゃ。今まで夫が座っている席にも、書類や本がどーんと積まれている状態。ええ、白状すると私は俗にいう「片付けられない女」なんです(汗)
「外泊してきてもいいよ」ということでしたが、とてもじゃないですけど病人を受け入れられる衛生環境ではありません。
こんな環境で寝たら病状が悪化するわ、と18日の土曜日も夜は病院で過ごしてもらって、翌日の19日も迎えにいきました。

夫にとって、約40日振りのシャバ(笑)
無精ひげも伸びています。私が、買ってきた電気シェーバーは箱に入ったままで役立たずですが、ま、いっか。
「あそこの蕎麦が食いたい」という夫のリクエストにお応えして、お昼はご近所のお蕎麦屋さんに行きました。
このお蕎麦屋さんは古民家風の佇まい。庭を眺めながらゆったり過ごせる場所で、9割蕎麦をいただける以前からお気に入りのお店です。

食後は、以前から気になっていたカフェで、これまたのんびり過ごしました。
担当医の先生からは、「刺身や寿司とか、生モノ以外だったら何を食べてもいいよ」と言われています。大好きなコーヒーとケーキ、もう好きなもの何でも食べてよ、そんな気分です。

家に着いた夫は、いつもの定位置にどかっと座って、ひたすらテレビ(笑)入院の間に録画していた番組をひたすら観ていました。そして、「夜は何を食べたい?」と聞くと、「醤油ラーメン」とのこと。「ええええ!?せっかくの外出許可なのに、ラーメン?もう少し、いいもの食べたら?」と言っても「ラーメンがいい」と頑なです。

もしかしたら、私の作る手間を考えてくれたのかもしれません。それに、夫の入院以来、私自身ロクなものを食べていなかったので冷蔵庫の中もすっからかん。いつも行っているスーパーにも久しぶりに行って、夫の好きなものをしこたま購入。もちろん、すぐに食べられる簡単なものばかり(笑)

でも、こうしてテレビを観ながらふたりでゴハンを食べられるのは40日ぶり。何か特別な会話があったわけではないですが、「普通のことって幸せなことなんだな」と実感したのでした。

16.「俺、FOLFIRINOXやってみる」夫の決断とその理由

ここ最近、Google先生の何かが調整されたようで、急にアクセス数が増えてビビッています(笑)
と同時に、それだけ情報を必要としていらっしゃる方が多いということで、ノロノロ更新してる場合じゃないぞ…と反省モード。
ここに夫がいたら、「ダラダラ長く書いてるからだ」と言われそうですね(汗)
「おーい、まだなの?」とイライラさせてしまっているかもしれませんが、ゆるりとお付き合いいただけますと幸いでございます<(_ _)>

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さて、この翌日、病院へ行ったのは夕方近くになっていました。
どうやら昼間、友達がお見舞いに来てくださったようで、抗がん剤のことも話したそうです。
ひとりは「絶対ヤダ!やりたくない」派、もうひとりは「可能性があるならやってもいいかも!?」派だったとか。
やっぱり、この手の話になると意見は分かれるものですよね。

「でさ、やろうと思うんだよね、俺。抗がん剤」
「うん、どっちの抗がん剤するの?」
「何だっけ、フォルなんちゃらって方……ほら、学会で発表されたっていう」
(おーい、名前くらい覚えようよ~)
「マシマシのFOLFIRINOXね。めっちゃチャレンジャーじゃん」
「そそ、それそれ。FOLFIRINOX、とりあえず1回やってみるよ。やるなら、そっちにするさ」
「何それ?とりあえずって…」
「副作用がヒドかったらイヤじゃん。やってみて副作用が辛かったら、もうしない」
「うんうん、そういう選択もアリだと思うよ。そしたら、夜の回診のとき先生に言おう」

夫は、競馬やオートレースといったギャンブルが大好き。
奇跡が起きた女性の話で「もしかして、誘導しちゃったかな!?」という思いもありますが、事実は事実です。
ギャンブラーはギャンブラーらしく(?)、命を賭けて人生最大の勝負に挑む…という感じでしょうか。

よーし、ここはひとつ大穴狙いでいこう。
やってやろうじゃん。

夫も私も、そんな気持ちでした。

そして、もうひとつ理由があります。
それは、この病院でこれまでFOLFIRINOXの症例がなかったこと。担当医の先生も初、ということ。
多くの人は、「やったことないんでしょう?それって怖い。大丈夫?」と思うのかもしれません。
もし手術なら私たちも同じように思いますが、相手は抗がん剤=点滴です。

妙に慣れちゃっているところより、初めての方が病院側も慎重にやって下さるだろう、と思ったからです。
(ああああ、またエラそうなことを……ごめんなさーい)
もちろん先生への信頼がベースになっていますし、夫が「この先生の症例第1号になろう」と思ったことも嘘じゃありません。
たとえどんなことでも、第1号って気分がいいものです。(え?そこ?)
あわよくば夫にも奇跡が起こったときは、先生には学会で発表していただこうじゃん…という気持ちもありました。

誰だって経験していないことをするのは、不安ですし怖いです。
しかも、身体にとってリスキーな抗がん剤マシマシ。最後の4剤目「5-FU」なんて、46時間投与し続けるのですから、えらいこっちゃーですよ。
私たちもそうですが、先生も、病院スタッフの皆さんも同じなのかもしれない。日テレが「はじめてのおつかい」なら、こっちは「はじめてのFOLFIRINOX」ってもんですよ。わはは。

わずかカーテン1枚で仕切られた6人の大部屋でこんな会話をしていたワケですから、周りの患者さんは「コイツら超ポジティブ!一体何なんだ?」とか思われていたかもしれないですね(笑)
でも、ポジティブなんかじゃないんです。どんなに拭っても、次から次に沸いてくる「不安」や「怖さ」を排除したいから、せめて言葉くらいは前向きで楽しいことを吐き出そう、という気持ちが強かったです。自己暗示、それしかありません。

そして、夜の回診で来てくれた先生にもFOLFIRINOXをやる旨をお返事しました。
「お、決めたんですね。FOLFIRINOX」
「先生の第1号だからね、俺。よろしくお願いします」
「ははは、わかりました。では早速、僕は薬を取り寄せたり、準備に入ります。これから、ポートを埋め込む手術もあるし、薬剤師の方から説明もありますし、質問があったら何でも聞いてください」
「先生、これカミさんが見つけてきたんだけど、俺と似たような人がFOLFIRINOXで手術できるようになったみたいで」
あら、自分では読んでもいない紙を、先生に見せちゃってるし。

「今度の外科学会で発表されるらしい、ですよ。先生も、俺のケースで発表しちゃえば?な~んて」
「はははは、そうなれるように一緒に頑張っていきましょう」
いつもより珍しく口数が多く、笑顔だった夫。先生とがっちり、男同士の握手をしていました。

さあ、いよいよFOLFIRINOXがはじまります。
それに向けて、周りが何となくバタバタと慌ただしくなってきました。
夫は、来たる日に向けてとにかく食べること。そして、私ができるのは「上手くいきますように」と祈るだけです。

世の中は、まだ賛否両論いわれている抗がん剤問題。
やるのもひとつの選択、やらないのもひとつの選択。どっちが正しくて、どっちが間違っているとかどうでもよくて、今はまだ「わからない」のが現状なのでしょう。たとえエビデンスがあっても、「効く人」もいれば「効かない人」もいるのが現実(難しいすい臓がんですしね)。だから、多くの人が真剣に迷うし、悩んでいるんですよね。そして、選択をする。現代の医療をもっても、まだこの段階、これが現実なのだと思います。

それに、どんな決断をしたとしても、物は考えようでポジティブにもネガティブにもなります。
当時こんな強気だった私でも、夫がいなくなった今、ごくたま~に「抗がん剤をしなかったら、もっと長く生きられたのかな?」と思ってしまうことがあります。でも、そういうときは、だいたい私の心が弱っているときなんですよね。

そういう状態に陥ったときは、「いーや、あのときちゃんと考えたし、ちゃんと話し合って決めたでしょ」「いかんいかん。あーー、今私の心が弱っているぞ。だから、ロクでもないこと考えちゃうんだ~」と開き直るようにしています。ネガティブになろうと思ったらいくらでもなれますし、キリがありません。そんな精神状態で、いいことあるわけないじゃんって思うのです。だから、開き直ってゴミ箱にポイッ!これの繰り返しなのかなぁ、なんて思ったりします。

さて、病院から戻って来た私は、すぐお義兄さんに電話で報告をしました。
「え?やるの?マジで?そっかぁ。すげーな、○○。俺なら、絶対に無理だ。うん、ムリムリムリ。○○は、勇気あるねぇ。で、いつやるの?俺、休み取って行くから決まったら教えて」
当時、一番ビビっていたのは、お義兄さんだったようです(笑)

15.やる?やらない?抗がん剤治療 その2

前回の続きです。

夫とふたりで抗がん剤の説明を受けた後、一旦は病室に戻りました。
少しして私がコンビニに行こうと歩いていたら、ナースステーションにいた担当医の先生に手招きされます。
「何?何?」と近づくと、さっきまでいたカンファレンスルームにまた案内されました。

「さっきは、ご主人がいらっしゃったので言えなかったのですが、奥さんにはお伝えしておこうと思って。」
そう切り出すと先生は、FOLFIRINOXをした場合の余命について説明してくれました。

「前にもお伝えした通り、抗がん剤をしたとしても1年。データ上は、抗がん剤をしたことで半年命が延びる計算になるわけですけど、抗がん剤をすることで辛い思いをしちゃうかもしれない。リスクもあるし、本当に半年延命できるという約束もできません。でも、薬が効いてくれれば、半年どころかもっと生きられる可能性もある。こればかりは、僕にもわからないし、やった場合とやらなかった場合を比較することができないんです。ご主人の身体はひとつですからね。だからこそ、これからの時間をどう過ごすか?ということも頭の片隅に置きながら、決めてくださいね。」

そっか…抗ガン剤マシマシのきっついFOLFIRINOXをやっても、やっぱり1年なんだ。しかも、効くかどうかもわからないんだ……。

「そうですか……何だか、抗がん剤ってギャンブルみたいですね」ふとこんな言葉が出てしまいました。
「ギャンブルじゃないですよ。ギャンブルは、当たるかどうかわからない不確定要素の中でやるものですけど、抗がん剤は治療成績もちゃんと出ていますからね。」
(やっべ…先生、ちょっとムキになってるし)
「あぁ、ごめんなさい。例えがちょっと悪かったですね。そういう意味じゃなくて~。でも、患者にとってみたら、効くか効かないかわからないのに、リスクを背負うわけですよね。それって、素人から見たら、十分なギャンブル的要素に思えて仕方ないんですけど~」(あれれ、謝っていながら反論してるよ、私。でも、ちょっと言いたい)
「まぁ、確かに奥さんのおっしゃることもわかります。そういう意味で、ギャンブルっていったらギャンブルなのかもしれないですけど……(苦笑)」

担当医の先生は、多分私よりひと回りくらいお若い先生(30代後半くらい?)だと思うのですが、オトナでした(笑)

こんなやり取りができるのもこの先生だからこそで、こうしてムキになることでお互いの考えや性格も見えてくる、というもの。このくらいのバトル…もとい、意見交換ならウエルカムです(笑)
でも、こうして夫のことを気遣って、2回に分けて説明してくれた先生には、やっぱり感謝しかありません。

ちなみに、グーグル先生に「抗がん剤」って入れると、すぐじゃないですけど第2検索ワードで「ギャンブル」が出てきました。
ほら~、言葉のチョイスや意味合いは別として、私と似たようなこと思ってる人いるじゃーーん(笑)

さて、家に戻った私は検索の鬼となり、ひたすら「FOLFIRINOX」をググりました。
これは、病院で渡された紙にある副作用の項目。

ひえーーー、ほとんど全部の項目にチェック付いてるし…。
皆さんのブログを見ても、副作用のことがズラリ。しかも、こんなに大変な副作用を受け止めながら、10回、20回と続けていらっしゃる方もいらっしゃる。その誰もが必死で、この難解なすい臓がんと向き合っていて、懸命に生きようとしている…それはバシバシ心に響きました。

これだけ大変な思いをして、残念ながらお亡くなりになった方もいらっしゃいます。余命宣告の年月を遥かに超えて、頑張っていらっしゃる方もいます。こればかりは人それぞれ…とアタマの中でわかっていても、つい「夫はどっちに入る?できれば後者……いーや、後者だよきっと。そう、後者に違いない」と都合のいいように思い込もうとしている私もいました。

そのなかで、夫ととても似ている症状の患者さんがFOLFIRINOXによって腫瘍が小さくなり、手術もできたという方のブログに出会いました。その患者さんの正確な年齢はわかりませんが、夫よりひと回りくらい先輩の女性と思われ、ブログ主は娘さんです。

来たーーーー!救世主、現る!?

お名前も知らず、面識もない方ですが、「勝利の女神」のように思えました。
その女性の症例は学会で発表されたそうで、そのくらいレアなケース。「奇跡」と呼べるものなのかもしれません。

ううー、その希望に賭けてみたくなってきた……ねぇ、ねぇ、やってみちゃう?FOLFIRINOX。
私のギャンブル魂が、ピクピク反応してきます。が………

いやいや、ちょっと待てーい。落ち着けーー、自分。
実際に抗がん剤をするのは誰よ?私じゃない……よね?
私が「やってみようよ」と言ったら、きっと夫は「そうだな、やるか…」と答えるはず。
でも、相手は抗がん剤マシマシだよ?それを身体のなかに入れるのは夫だよ?風邪薬を飲むのとワケが違うよ?
そんな重大なことを、私が決めちゃっていいの?

命に関わることだけに、責任をもつのが怖かった、というのも正直あります。
もしFOLFIRINOXをやって、重篤な状態になったらどうしよう、という心配もあります。
そうなった場合、私は耐えられる?「私のせいだ」と、後悔するんじゃないの?後悔を少しでも減らす選択をするって、あんた自分で言ってたよね?……一晩中、パソコンの前で自問自答して出した結論は

ごめん、私には決められないや。
夫の命は夫のもの。私が決めることじゃないよ。

私ができることは、調べた情報を夫に伝えるだけ。
翌日、ネットで得たいくつかのケースをプリントアウトして病院に持っていきました。10枚くらいあったでしょうか?
でも、さすがに「死」を連想させる内容は無意識に避けていたような気がします。このときの私は、認めたくなかったのだと思います。
副作用の内容がメインで、FOLFIRINOXの場合、アブラキサン+ジェムザールの場合、同年代の方の場合、ご年配の方の場合などなど。

「昨夜あれから、いろいろ調べてみたんだ。でも、抗がん剤って人によって本当に違うみたい。この人は、仕事をしながらFOLFIRINOXをやっているんだって。で、この人の場合は…」
プリントアウトの紙を説明しながら出していくも、夫は渡された紙を持つだけで老眼鏡をかけようともしません。
「で、どうなの?」
「いやいや、どうなのって言われても……って、読まないの?参考になるかなぁと思って持って来たんだけど」
「うん、それはわかるけども……読むの、面倒じゃん。こんなに文字、たくさんあるし。調べたんでしょ?いろいろ」

出たーー、夫の面倒くさがり病。
私もかなりの面倒くさがりですが、夫の面倒くさがりも相当なもの。まぁ、似たもの夫婦ってこういうことなのでしょう。
でもさ、毎日毎日院内のコンビニで、スポーツ新聞買って読んでいるよね?その活字と、この活字は違うのかいっ!

「というかさ、面倒とか言っているけど、本当は読みたくないんでしょう?」
「別に……」

おっと、今度は必殺「別に」返し、出たーーー。
そう、沢尻エリカ様も真っ青なくらい、夫は「別に」が口癖の人。話題になった元国会議員風に言えば、「別にじゃ~ないだろおおおおおっ!ちゃんと答えようよーーーー!」となるのでしょうが、私も慣れっこです。普段なら「そう、だったら好きにすればいい」とこっちもそれ以上言いませんが、やっぱり事が事だけにねぇ…。

それに、夫はもともと自己主張が強いタイプではありません。
仕事については、自分で決めて「こうなった」「こうするから」と事後報告。それを聞いた私は、「そっか、わかった」という流れ。私の仕事について口出しをすることはなく、「自由にやればいい」「相談されれば答えますよ」というスタンス。
一方で、仕事以外となるとほぼ私が主導…という感じでしょうか。「こうしたいと思っているんだけど」と私が投げて、「いいんじゃない。」「それはちょっとどうかと思うよ」「ヤダ」とジャッジするのが夫でした。

そう考えると、「コレ読んで、自分で決めて」は今までないケース。「別に…」だって、今はじまったことではありません。
「がんだから」「抗がん剤だから」「命がかかっているから」といって、いつもと違うスタイルじゃなくていいんですよね。
ヘンに構えていたのは、私の方だったかも……はぁ、ちょっと気合い入れ過ぎたようです。

こうして、ひとりでグルグル二転三転したものの、私が調べたことを夫に口頭で伝えることとなりました。
副作用は、かなりキツい可能性があること。副作用によって、続けられない場合もあるし、続けている人もいる。
抗がん剤が耐性を持つのは仕方のないことだし、命を縮めてしまうリスキーな部分も否めないこと。
でも、私が読んだブログのなかで、奇跡的な症例の人がひとりだけいたこと。ただし、学会で紹介されたくらいレアなケース。
もうね、調べれば調べるほど、私自身よくわからなくなってきたし、先生は否定するかもしれないけど私には抗がん剤がギャンブルのように思えて仕方ない。
だからこそ、私は「やろうよ」とも「やめようよ」とも言えないのが正直な気持ち。
調べた範囲の事実と私自身の思いをそのまま伝えました。

「そっか、わかった。するにもしないにも、先生に返事しなくちゃだもんな。どうするか、今夜一晩考えてみるわ」
夫はそう言って、天井を見つめていました。

夫はどんな選択をするのだろう?
どっちの選択をしても、私はできる限りフォローしていこうと思ったのでした。

14.やる?やらない?抗がん剤治療 その1

食後の発熱問題と同時進行でやっていたのが、今後の方針について。
夫の場合、できることは化学療法のみでしたので、まず担当医の先生から抗がん剤の説明を受けました。

現在、すい臓がんの標準治療で行っている主なものは
・FOLFIRINOX療法
・ジェムザール(ゲムシタビン)+アブラキサン(ナブパクリタキセル)
・TS-1(テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム配合剤)

すい臓がんがわかってから、私もあれこれ調べていましたが、それにしても舌を噛みそうです。

抗がん剤に種類があるのはわかったけれども
で、どれがおすすめなの?
で、ぞれぞれどんな違いがあるの?
で、どんな効果が考えられるの?
で、どんな副作用があるの?

アタマの中に広がっていた「で?」「で?」を、ひとつひとつ解説していただきました。
といっても、あまりにも専門的すぎて、どこまで理解できたか?はビミョー。

ただ、ハッキリしているのは
夫の場合の抗がん剤は、「治すため」ではなくて「進行させずに、腫瘍を小さくする」ことが目的。
先生曰く「すい臓がんが暴れ出すと、医者も手に負えない」のだとか。

マジ!?っていうか、私たち、今、すっごく脅されてる?
いやいや、この先生が言うのだから事実なのでしょう。
でも、私たちは「すい臓がんが暴れる」というのがどういうことなのか、全くピンと来ていませんでした。

このとき、夫の体重は55キロをいったりきたり。
身長が168cmなので、だいぶスリムになったけれども、まだガリガリ君ではない。
年齢も53歳と若いし、体力もあります。
…というか、すい臓がんという事実と、痩せたのと手術の影響なのか下痢っぽいだけ。あとは、発熱。それ以外は、何も変わっていません。

担当医の先生からのご提案は、4種類の薬剤を使う「FOLFIRINOX(フォルフィリノックス)療法」でした。
「これ…ですか?」私は、事前にプリントアウトして持っていたFOLFIRINOXの説明書(?)を出してみました。
「そうそう、これこれ。もともとは、大腸がんの治療で使っているFOLFOXとFOLFIRIを組み合わせたものなんですよ。FOLはフォリン酸っていって…」先生が話すことを、メモするだけでいっぱいいっぱい。

まとめると
FOL…フォリン酸の「フォル」で、「レボホリナート」を使用(5-FUの効き目を強めるため)
F…抗がん剤フルオロウラシル(5-FU)の「F」
IRI…抗がん剤イリノテカンの「イリ」
OX…抗がん剤オキサリプラチン(エルプラット)の「オックス」

マクドナルドでいったら、メガマックみたいなもの?ラーメン二郎風にいったら、抗がん剤マシマシみたいなもの?こんなバカ野郎で、すみません(笑)

ただし、「4剤使うので、副作用は結構キツイみたいですけど…」とのこと。
らしいようですね。すい臓がんの方のブログを読んで、FOLFIRINOXの副作用で大変な思いをされていらっしゃる様子はいくつも拝見していました。うんうん……抗がん剤マシマシだものね。

ん?いやいや、ちょっと待って。
キツイ「みたい」???今、「みたい」って言ったよね?
こういうのを聞き逃さない私なので(笑)、すかさず先生に尋ねました。

私「先生、今までFOLFIRINOXの症例って、あるのですか?」
先生「僕ですか?僕は、ないです。というか、当院で、まだFOLFIRINOXを使った症例はありません。FOLFIRINOXができる患者さんって、年齢や状態が限られているので、誰にでも勧められる方法じゃないんですよ。」
夫「ということは、もし俺がやると言ったら、先生にとっての第1号?」
先生「となりますね。」
夫「第1号か……でもなぁ、副作用がキツイのか…う~ん。それがイヤなんだよなぁ。」
私「先生、もし、もしですよ。先生が、主人と同じ状況だったら、やります?FOLFIRINOX……」
先生「一度は、やってみたいかな。やってみて、あまりにも辛かったらやめちゃうかもしれないですけど。」
夫と私「そっか……先生は、やるんだ。やっちゃうんだ。」

なぜ、FOLFIRINOXなのか?も聞いてみました。

どんな抗がん剤でも、遅かれ早かれいずれ耐性をもってしまう。それに、抗がん剤は体力や免疫力を奪うことが多いもの。
例えば、ファーストラインでFOLFIRINOXをやった場合、効き目がなくなったらセカンドラインとしてアブラキサン+ジェムザールという手が考えられる。でも、逆だった場合。副作用はFOLFIRINOXほどじゃないといっても、アブラキサン+ジェムザールだって抗がん剤に変わりはない。「やっぱりFOLFIRINOXにする」となったときに、その体力があるかどうかの保証はない。「やりたい」と思ったときに、できない場合もありうる、ということも考えなければいけない。

ふむふむ。ただ単に「初だから、やってみたい」じゃないのね。
すすすすすみません。エラそうで…(汗)担当医の先生のことは、すごく信頼しています。でも、どうもこの天邪鬼な私の性格が、ついロクでもないことまで考えてしまい、裏の裏まで読んでしまう、というか何というか……(汗)
もちろん、そんな失礼なことは口に出していませんけれども。

「今すぐじゃなくていいので、ふたりでよ~く相談して決まったら教えてくださいね。」
先生に言われて、私たちはカンファレンスルームを出ました。

抗がん剤をしなかった場合の余命は半年、抗がん剤をしたとしても1年。
余命については、このような理由で夫には伝えていません。なので、抗がん剤の説明でも担当の先生は、このことについては一切触れませんでした。

選択肢は、ふたつ。抗がん剤をやるか?やらないか?
さあ、どうする?大きな決断をしなければなりません。

長くなりましたので、続きます。

12.一度崩れた体調はそう簡単に回復しない~食後の発熱問題

術後12日目、2015年4月13日の夕食はお粥に豆腐ハンバーグでした。
(たまたまこの写真がiPhoneに入っていました。)

この時点で、夫の体重は入院前と比べてマイナス10キロ。
やっぱり約1カ月に渡った絶食の影響は大きくて、食べられるようになったら今度は新たな問題が…。
食後決まって、熱が出てしまうようになりました。
健康な人でも食後は体温が高くなりますが、夫の場合は38度を超えることも多くて、もうぐったり。
食事の最後の方は、はぁはぁ息切れもしてきて見た目でシンドそうなのがわかります。

食べなければ体力がつかない。でも、食べると今度は熱が上がって体力消耗。
まだ、手術の炎症もあってか、普通にしていても37度台の微熱が続いていますし、
うむむむ……人間の身体は、そう簡単には都合よくいかないものです。

それでも、夫は頑張ってよく食べてくれたと思います。
私ならきっと「あーー、食べるとまた熱が出てシンドイからヤダー」と根性無し全開になったでしょうから。
解熱剤も処方してもらっていましたが、追い付かない状態で、ほぼ1日中枕の上にはアイスノン。
食べては発熱、また食べては発熱……を繰り返しながら、少しずつ身体を慣らしていくしかありません。

そして、ちょうどこの頃、私が気になっていたのは漢方薬。
子供の頃、虚弱体質だった私は父と一緒に毎朝センブリ茶を飲んでいた渋い小学生(笑)婦人系の病気のときも漢方製剤を処方してもらっていました。
しかも、たまたま仕事の打合せで会った親しい社長さんから「これ、何かの参考になれば」と渡されたのが、これまた漢方の本。
気になっていたからか、これも神様の思し召しなのか、単なる偶然なのか……ここはひとつ、神様の思し召しということにしときますか(笑)

いただいた漢方の本を一気読み。
家にあった漢方の本も引っ張り出したり、ネットで調べたりと漢方情報をひたすら手帳にメモって、担当医の先生に相談することにしました。

このブログで何回も書いていますが、担当医の先生は話をきちんと聞いてくださる人。自分の考えを決して押し付けないですし、頭ごなしに否定することもありません。といっても、ご自分の意見はロジカルにハッキリおっしゃる方。バリバリの理系なのですけど、心の機微を感じ取ってくださる…私たちにとって頼れる存在です。

早速、夜の回診時に
「先生、昨日漢方が気になって一夜漬けしたんですけど、体調を整える方法としてどう思われますか?これとか、これとか…」(プリントアウトした紙を数枚見せて)
「お、漢方。いいと思いますよ。『補中益気湯(ほちゅうえっきとう)』は、病後の回復に飲む方も多いですしね。飲んでみます?」
あら、この先生、漢方にも寛大でした(笑)
翌日から、夫が飲む薬には1日3回の『補中益気湯』が追加されることになりました。

ただし、この『補中益気湯』がどのくらいの効果があったのか……ハッキリ言ってわかりません。
補中益気湯だけ飲んでいるわけじゃないですし、他に出ている西洋薬が効いているのかもしれない。それに、食事をするようになって少しずつでも免疫力がついてきたのかもしれないし、こればかりは「絶対」というものは存在しないと思います。
それだけ、人体のメカニズムは複雑で神秘的なのでしょう。
ひとつだけ言えるのは、「気になっているものは、とにかく一度聞いてみよう」でした。

その後の夫は、食後の発熱もだんだんと緩やかになっていき、食後に廊下を散歩できるくらいまで回復してきました。
しかし、体重が10キロ落ちたことと、熱のだるさで運動不足になっていたため、脚の筋肉はげっそり。筋肉は使わなくなるとあっという間に落ちる、というのは本当ですね。

物心ついたときからスキーをはじめて、中学・高校はスキー部に所属。プライベートでもスキー、ゴルフとやっていて、特に足腰はがっちり筋肉質だった人です。
だからこそ「シャワーを浴びたとき、自分の脚を見てイヤになったよ」と言い出すくらい、身体の変化にショックを受けていました。

これも現実。でも、めげている時間は私たちにはないのです。
食後の散歩の度に、廊下にある体重計に乗っては「お、今日は200g増えてる」「おお~、500g増加だよ。すごくね?」と無理矢理にでもモチベーションを上げながら、失ったものを少しでも取り返そうとしていました。
「小さなことからコツコツと…」「西川きよしかよ!」「いやいや、それって大事だから」とフザケながら…。

11.「重湯がまずい」…子供のように駄々をこねる夫

その後の夫についてほったらかしになってしまいましたので、ちょっと軌道修正して夫の術後についてお話します。

約1カ月間の絶食生活を経て、胃と腸をダイレクトに繋げる胃空調バイパス手術も無事に終わりました。
術後2日目(だったような…記憶があいまいですみません)には、待望の食事が運ばれてくることに。
さあ、これからモリモリ食べて、体力もつけて本腰入れてがんと向き合うぞー!
…といいたいところですが、物事には順序があります。

約1カ月間水分とアメしか口にできなかった夫ですので、重湯からスタートなのですが、これが「まずい」と言って食べてくれません。
重湯だからね。そんなに美味しいものじゃないのは知ってるよ。
でも、それでも食べなくちゃじゃん。
ずっと重湯じゃないんだし、これから今まで通りゴハンを食べるためにもね。
……もうあの手この手で何とか食べてもらおうとしても、ほんの4~5口運んだだけで「もういい」「片付けて」と残します。

子供かーー!?
子供の方が、多分もう少し聞き分けがいいと思うぞ!
…と言いたい気持ちをグッと堪えて(笑)
「じゃあ、私も食べてみるから」と夫の目の前で重湯を完食して見せても、「おいしくない」「やだ」と。
※病院スタッフの方には、私が食べた量を報告しています。

夫は料理人といっても、美食家というわけではありません。
といっても、ぽや~んとした味が好きじゃないのは事実。重湯用にお塩も付いてきましたが、それでもぽや~ん。
わかるよ、あなたがこういう味を好きじゃないことも。食欲が沸かなくなることも…でもね、それでは困るのですわ。

それにしても、どうしたのだろう?
こんな聞き分けのない人じゃなかったはずなんですけどね。
言葉にこそ出しませんが、まだ夫は現実を受け止めきれない精神状態なのかもしれません。

こういうときは、看護師をしていた我が母に聞くのが一番いい。
助産師でもあった母は産婦人科専門だったけれど、彼女ならもう少し説得できそうなトークを持っているかもしれない。

そして、母から夫宛に届いたメール。

「○○ちゃん、手術お疲れ様。大変だったね。
ところで、人間の身体は、絶食した日数と同じ日数だけ回復に時間がかかるの。
○○ちゃんの場合は1カ月も絶食しているし、手術もしているから、尚更身体を労わりながら食べないといけない。
赤ちゃんが離乳食を始めるように、1口を少量にして時間をかけてゆっくりゆっくり。
重湯はまずいだろうけど、炭水化物やたんぱく質とかブドウ糖の点滴よりはるかに高い栄養価があるの。神経細胞、赤血球、白血球を作るための栄養素だから、どうか嫌がらずに食べて下さい。
今食べたものが腸で吸収されて、血になるんだ、細胞に届くんだとイメージしながら食べるとちゃんと身体に届くから。
辛いだろうし、イライラするだろうけど、今が踏ん張り時よ」
※誤字脱字やヘンな言い回しは直しています

母もよくこんな長い文を打って、送ってくれたと思います。
ちょっと説教くさいですし、この手の話になると独特な世界感になるのですが、一応専門家ですからね。
それにしても、赤ちゃんの離乳食に例えてくるとは……さすがっすね(笑)

しかも、その数時間後に「どうしてもまずかったら、一緒に出ているコーンスープをかけて味付けしちゃうといいわよ(ハート)」と、おばあちゃんの知恵袋的なアドバイスも。

それからの夫は、重湯に付け合わせのコーンスープをドバーッとかけて食べてくれるようになりました。
私の母に気を遣ってくれているのかもしれませんが、まぁまぁ食べてくれれば良しとしましょう。
食事もあれよあれよという間に重湯からお粥になっていき、食事の量も日毎に増えていきます。

ただし、どうしても「これはいいや」と拒絶してたのがコレ。

食事だけではどうしても不十分になりやすい栄養素を摂るための流動食「クリミール」。
確かに、そんな美味しいものじゃ~ありません。パックなので冷蔵庫に入れて取っておけるのですが、朝・昼・晩と1日3回出るのでどんどん溜まっていく一方に。

コレが、毎日の病院通いで自分の食事もテキトーになり栄養が偏りまくっている私の高栄養流動食になっていたのはいうまでもなく。
病院へ行ったら、「さ~て、今日は何味を飲もうかな?」と栄養ドリンクを飲むかのごとく「クリミール」をゴクゴク。そんな私を見て、「よくそんなの飲めるね」と呆れ顔の夫。

えええええ!?そもそも何で私がコレを飲んでいるんでしたっけ?それに、私がそんなに栄養を摂ってどうすんじゃーい(笑)

8.巷にあふれる「がん情報」とどう向き合っていくか?どう選択していくか?

長いこと更新していなく、気付けば2017年。しかも、1月が終わろうとしています(汗)
実は、年頭に「このブログ記事を、月3回はアップする」という目標を掲げていながら、今日は1月30日。ヤバい…と慌てて書いているわけですが、今年はもう少し更新頻度を上げたいと思います。……と、前置きはこのくらいにして。
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今回のテーマは、ネットでがん情報を収集するときの注意点について、です。
予定では、もう少し先でやろうと思っていましたが、昨年発覚した某キュレーションサイトの医療情報問題。これによって、ネット情報の真偽が問われることになりました。

ちなみに私は、これまで美容を中心としたライター業をしている関係で、日頃から情報収集をしています。そのなかで、「それって本当?」「その根拠は?」と裏を取ることも習慣になっていて、一般の人より薬機法(旧薬事法)の知識をもっていると自負しています。サプリメントや健康食品を扱うこともあるので、身体のメカニズムや栄養素の勉強をする機会も。ですから、ネットの情報のなかに「いかにいい加減で」「無責任な情報」が氾濫しているか、という現実は把握していました。

そして、夫のがんが発覚して、私が毎日やっていたのはがんの情報収集。
がんの治療は「情報戦」などともいわれていますが、病院から帰ったらパソコンの前にかじりつき、気付いたら朝になっていた…という日も少なくありません。そのなかで感じたのは、「なんて、胡散臭いがん情報が多いのだろう」ということでした。

「がんに有効な情報があれば何でもしたい」と、わらをもすがりたい患者さんや家族の気持ちを食いものにする「がんビジネス」。
信じる者は救われる、という説も一理あると思いますし、それらを選んでいる方々を非難する気もありません。それに、医師のなかでも、「抗がん剤は百害あって一利なし」とか「私は○○をオススメしますよ」など様々な意見が分かれているいることも事実。がんという病は、それだけ難しくて、解明されていない部分も多いのが実態なのでしょう。

であれば、お金を払う書籍ならもう少しまともな情報が得られるのでは…と本屋さんへ行けば、『抗がん剤は効かない』という近藤誠先生の本の隣には『「抗がん剤は効かない」の罪』と勝俣範之先生の本が。その延長線上に、梅澤充先生は『間違いだらけの抗ガン剤治療』とおっしゃいます。ええ、わかりますよ、本を売るためには多少キャッチーなタイトルがいいことも。それが戦略のひとつでもあるのですから。でもね…

調べれば調べるほど、ええええ!?ちょっと、ド素人の私は一体何を信じたらいいのよ~!と頭の中が混乱するばかり。
それに、実際問題として「本をじっくり読み比べてから決めよう」なんていう余裕もありません。何をするわけではないものの、毎日自宅と病院を行き来するだけでいっぱいいっぱい。比較的時間の自由がきくフリーランスの私でもこんな調子なのですから、フルタイムのお仕事をもっている方はどんなに大変かとお察しします。

そうなると、どうしてもネット情報に頼るのが手っ取り早いのですよね。あとは、その情報をどう自分自身で精査して選んでいくか…もうこれしかない、と思いました。

以下に挙げたものは、あくまでも私の個人的な判断基準ですが、、、

・「末期のがんが治った」「医師が見放したがんが消えた」といっている情報はスルー。気になっても斜め読みのみ
「治った」「消えた」…患者さんにとっても家族にとっても希望の言葉です。そこに賭けてみたい、という想いも痛いほどわかります。でも、それがサプリメントや健康食品だったら要注意。薬機法では、「治った」「消えた」は違法の表現なのですから。

法律さえ守れない会社の健康食品を信じることができますか?しかも、値段がアホみたいに高い。なかには、「○○大学△△先生が開発に携わって…」とか「○○大学の研究によると…」とか、もっともらしい開発背景を書いている企業もありますが、そこまでやっていてなぜ法律にはゆるいの?と突っ込みたいところです。

・患者の体験記を装った記事風広告は完全スルー
私自身、この類のものに何度が騙されそうになりましたが、ある意味よくできているものもあるため注意が必要です。患者さんの体験だと思って読みすすめていくと、実は広告でした~というパターン。上で書いたように、法律上「言いたくても言えない」ことを体験談として語らせよう、というわけでしょうが、実はこれもNGです。

まず、記事の最後に「私が飲んだのはコレ」と健康食品など企業のサイトにリンクしているようなら、「怪しい」と警戒した方がいいと思います。それに、リアルな体験談の割には最後のオチが雑、という特徴も。ここで「ああ、真剣に読んだ私がバカでしたー」となるのですが(笑)

「奇跡のドリンクやサプリ」に出会うまで、その内容はリアルでやたらドラマティックに書かれています。が、「コレを飲んだらあ~ら不思議」と言わんばかりにざっくとした内容。そもそも人の紹介だか何だか知りませんが、そうそう一発で「奇跡のドリンクやサプリ」に出会えることからして嘘っぽい(笑)アレも試して、コレも試して…くらい、あると思うのですよね。それに本当に患者さんが書いている体験記でしたら、具体的な検査数値や飲んだうえでの変化とか、いろいろ書くこともあるでしょう。でも、そもそも嘘だし、データもないから書けないんだよね…と心の中でつぶやいてしまうのでした。

・都合の良い、甘い言葉が並べられているサイトもアウト
「安心」「安全」「必ず」「絶対」「知らないと損」など、消費者にとって都合が良い言葉、煽るような言葉が並べられていたら、それもアウト~!まず、これらの言葉も、薬機法上すべてNGの表現なのですから。「あなたは騙されている」と言っているあなたこそが、騙そうとしていますよね?「甘い言葉には罠がある」というくらい、疑った方がいいかと思います。

もちろん、何を選択するかは人それぞれ自由です。
もう一度いいますが、上記に書いたことは私の判断基準のひとつに過ぎなくて、考え方もみんな違って当たり前だと思います。なかには、私がスルーした健康食品やサプリを飲んで、本当に良くなった方もいらっしゃるのかもしれません。でも、「絶対大丈夫!」と妄信したり、偏った治療に繋がるのは危険なことだな、と感じます。

それに、現代の技術をもっても、お肌にできたシワやシミをなくすことは簡単ではありません。私はよく、「長年かけてなった状態を元通りにしたいと思っても、できることとできないことがある。仮にできることでも、そうなったのと同じくらいに時間がかかる(プチ整形などは別として)」と言っています。ましてや、それが「がん」なのですから、そうそう簡単で楽な方法なんてない、と思っています。

当事者や家族にとって夢のようなフレーズは、確かに心が揺れます。でも、だからこそ冷静に考えて、吟味しながら少しでも後悔のない選択をしていきたいものです。

7.手術当日、お姑さんの強さを見て知るそれぞれの役割

手術当日は、お義母さんとお義兄さんが田舎から出てきてくれました。
4月1日10時~手術でしたので9時に直接病院で…という段取りでしたが、8時前に携帯が鳴って「もう着いたよ」……ええええ!?着の身着のまま大慌てで私も病院にダッシュです。こういうとき病院が近いと、助かります。

夫が無口ということはすでにお話ししてきましたが、お義母さんもお義兄さんも口数は多くない人。そこにいた誰もが心配で仕方なかったのでしょうが、シーンと静まり返っているのも居心地が悪いものです。ふと夫の足元を見ると、血栓症を予防するため医療用の弾性ストッキングを履いていました。

「ぷっ!バレリーナみたいな脚だし」「しょうがないじゃん。コレ履いてみ?かなりキツイんだから」「ごめんごめん。これも貴重な経験ってことで…でも、ウケる。ちょっと写真…」「やめろー」「いいじゃん。お願い、1枚だけ」「やーめーろー」なんてフザケている間に、看護師さんが迎えに来ました。ああ、こういうときでもフザケちゃう私って一体…。

「よし。じゃあ、行ってくるか」自分で自分を奮い立たせようとつぶやく夫の手を取って、「はい、お義母さんからパワー注入」「はい、お義兄ちゃんからもパワー注入」と手を握っていただきました。そうでもしないと、母と息子が、兄と弟が手を握る機会ってないですものね。私はいつも病院から帰るときと同じようにグーを出して「ぜってー、負けねえ」、「ぜってー、帰ってくる」と夫のグーとカチンと合わせて見送りました。(※EXILE大好きな私たちのお決まり挨拶です)

そこからの約4時間はとても長かったです。手術中は途中で何かあったときのために、誰か一人は必ず院内に待機しなければなりません。腰の悪いお義母さんは長時間座っていられないため、お義母さんのことはお義兄さんにお願いして私が残ることにしました。といっても、飲み物以外ノドを通らないし、スマホの画面も持参した本の文字も全く頭に入ってきません。「こっちがエコノミー症候群になりそうだわ」と思いながらも、ただひたすら待合室でじーーーっと座ったまま心ここにあらず、な状態でした。

名前を呼ばれて、手術室に連れて行っていただいたのが13時半過ぎくらい。少し前に夫を見送った扉の向こう側は冷んやりしていて、「へえ~、ここが手術室か」とキョロキョロしていると(←緊張していても、ヘンな余裕もある私の謎行動!?)手術を終えたばかりの先生がやって来ました。「もうすぐ麻酔から覚めると思いますが、手術は成功です。癒着もなかったし、腹膜播種もみられませんでしたので、予定通り腹腔鏡のみでいけましたよ」…先生の言葉にふっと肩の力が抜けました。

リカバリールームに戻ってきた夫は麻酔でまだぼんやりしていましたが、「お帰りなさい。手術は成功だって。やったね、お疲れさま♪」の声掛けにピースサインで答えていました。そして、病室に戻ってきたお義母さんは言葉にこそ出しませんが、「よかった、よかった」と語りかけるように夫の手をずっと撫でている姿に涙が出そうになった私は、「買い物に行ってくるね」と病室を抜け出しました。母は強し、と思った瞬間で、親子水入らずの貴重な時間。ここはお義母さんにお願いして、外の空気を吸いに行きました。

お姑さんと嫁の関係って、世間ではいろいろと難しいといわれます。私の場合は次男の嫁という立場で、しかも離れて暮らしていることもあって比較的良い関係を築けている方だと思います。しかし、今でこそこんな話ができますが、実は結婚10年目くらいのときにあることがきっかけで夫の実家と5年くらい疎遠になっていた期間があります。お義父さんの病気を境に関係を修復できたのですが、このとき初めてお義母さんとぶっちゃけトークをしました。フタを開けてみれば何てことなく、「な~んだ、もっと早く話していれば良かったよね」という明らかなコミュニケーション不足。亭主関白なおウチだったので、お義母さんと話す機会が少なかっただけだったんです。

そこからは、お義母さんもぶっちゃけるし、私もぶっちゃける。今でも実家へ行ったら、時間を忘れるくらい延々とおしゃべりできる関係でいられるのは有難いことで、「あのとき修復できていなかったら、どうなっていたのだろう」と考えることがあります。悲しい出来事でしたが、きっかけをつくってくれたお義父さんに感謝。「話してみればいいじゃん」と間を取り持ってくれた夫にも感謝です。

それに、いくつになっても母は母。どう頑張ったところでお義母さんの代わりはできないですし、子供のいない私は親としての気持ちを想像できても100%理解することはできません。逆も同じで、お義母さんが私の代わりをすることはできないでしょう。違っていて当たり前だし、それぞれがそれぞれの立場でできること、思うことがあるのもごくごく自然な話。もちろん、その領域にズカズカと土足で踏み込まないのはお約束で、最低限のルール。それが適度な距離、なのかもしれません。

そこさえ守ってさえいれば、ありのままの自分でいいと思うのです。「私が、私が」と出しゃばる必要もないし、「私なんて」と悲観する必要もない。大ヒットした歌ではないですが、「ありの~ままの~姿見せるのよ~♪」そんな気持ち。だから、私がいつものようにフザケて、少しでもその場が和んで笑ってくれたら本望。笑う門には福来るっていうでしょ?いくらでも笑わせまっせ♪という思いは、今も変わりません(笑)

といっても、なかには「私が、私が」と距離感のわからない困ったさんがいることも事実。私の友達やお世話になっている奥様も、ご主人が大変なときにこの手のタイプにやられて参った、という話を聞いています。どこにでもいるんです、そういう人が。こういう人への対処については改めて別の機会に書こうと思いますが、心の底から「逃げてーーー!」と言いたいです。ちなみに私は……逃げました(笑)ただでさえ疲れる相手なのに、よりによってなぜ今?マジ勘弁して。こっちはそれどころじゃないんです、とシャッターガラガラです。

さて、お腹に1cmくらいの小さな穴を5箇所(確か…)開けた夫は、その後の傷口の状態も順調で翌日には一般病棟に戻って歩かされます。これが結構辛いらしく、寝返りするにも起き上がるにも全て腹筋を使うため「ッ……アタタ…」となってしまいます。ベッドから立ち上がるのにも腹筋、座るのも腹筋、咳やくしゃみをするにも腹筋…人間の体は無意識のうちに腹筋を使っているのですよね…。

6.食事ができるようになるための胃空調バイパス手術

夫のケースは、手術不可能&十二指腸に浸潤しているので放射線治療も不可能&肝転移アリでしたので、やれることといえば化学療法のみ。でも、その目的はがんの進行を少しでも遅らせることです。が、抗がん剤をやるにも体力が必要で、食事が摂れないことには次のステップに進めません。(夫の詳しい症状はコチラをどうぞ)

B大学病院から出戻った夫に対して、担当医の先生はすぐに胃と腸をつなげるバイパス手術を準備してくださっていました。この先生はやることなすことすべてが早く、このスピード感も私たちが気に入っていたことのひとつ。ですが、出戻り翌日に手術というのはさすがに驚きました。聞くと、「だって、B大学病院の手術予定日が4月1日だったでしょ?だから、同じ日に突っ込んじゃいましたから(キリッ)」……突っ込んじゃいましたって、そんな簡単に手術って入れられるの?と思いつつも、1日でも早くゴハンを食べたい夫としては有難いことこのうえなしです。

夫が受けた手術の正式名称は、「腹腔鏡補助下胃空調バイパス手術」というもの。
大量出血の原因となった十二指腸の腫瘍部分に食べ物を通さないために、腹腔鏡によって胃と腸をダイレクトに繋ぎあわせる手術です。夜には手術そのものの説明やリスクの他にも、次のような説明を受けました。

・予定は腹腔鏡下でも、癒着など実際の所見次第では開腹術に切り替えることもあること。
・現段階では胆管の詰まりは大丈夫そうだけれども、すい臓がんは胆管が詰まりやすい。状態によって、胆管と腸をつなげる必要がある場合(胆管空腸吻合)はお腹を開ける。
などなど。

こちらは手術説明・同意書(患者控え)の裏なのですが、先生が説明しながらボールペンでパパッと描いてくださったもの。

がん告知のときもそうでしたが、この先生は説明が丁寧でわかりやすい。それに、絵が上手い。以前、何かの記事で「腕のいい外科医は絵が上手い」という内容を読んで目からウロコだったことを思い出し、先生への期待感が高まったのは言うまでもありません。

といっても、私たちはど素人です。特に、今回の夫のことに関しては「納得できるまで何でも聞く」と私自身が決めていましたので、素人なりでも自分で調べて疑問に思ったことはどんなことでも手帳にメモしたり、調べてもわからないことはプリントアウトしていつでも質問できるように準備もしていました。

それに、折しもこの時期は群大の腹腔鏡手術のことがニュースで話題になっていたとき。今回の手術を調べてみると、難易度は低いようですし、やっぱり開腹手術はできるだけ避けたい。といってもご時世的に、「腹腔鏡」というだけでビビッてしまうのも素人ゆえの心理。黙っていられない私の性格上、こんなことまで聞いてしまいました。

「あのー、ぶっちゃけ腹腔鏡ってリスク高いのですか?」
「リスクは手術の内容によって違いますね。ご主人の場合はよくある手術のひとつですし、危険なものではないですよ。また、どうして?(奥さん、いろいろ調べてわかってるでしょう?的なニュアンス)」
「ええ、一応私も調べて理解してみたのですが、今騒がれている群大の件があるし気になっちゃって…」
「あ~、アレね。はははは、ご主人のとは全く別。まぁ、心配しちゃう気持ちはわかりますし、どんな手術でもリスクなしというのはないわけで。でも、今回のはウチの病院でも症例数は多いし、心配しなくて大丈夫!」
「それを聞いて安心しました。いえね、腹腔鏡=危険という報道ばかり目にしてつい。あはは、すみませーん。変なこと聞いちゃって…。」
「いえいえ、少しでも不安なことがあったら何でもどうぞ。はい(o^―^o)」

思い返せば、我ながらずいぶんバカで失礼な質問をしたな、と思います(笑)でも、このときは真剣だったのも事実で、ちょっとしたモヤモヤもクリアにしたいという気持ちの方が勝っていました。この先生だからこそ話しやすかったというのもありますが、「こんなことを聞いたら怒られるかな?」「こんなことを聞いたらバカだと思われるかな?」という気持ちよりも「わからないので教えてください」という気持ち。

見方によっては、“面倒な患者家族”だったかもしれません。でも、心のどこかで「たとえ小うるさいと思われても、私が思われる分にはどうでもいいや」という開き直り(?)もあった気がします。その一方で、相手の時間を使って教えていただくからには自分もちゃんと調べて少しでも知識を増やす、ということも心がけました。もちろん、知ったかぶりをする気はさらさらなくて、あくまでも夫のすい臓がん対策プロジェクトに「参加させていただく」という姿勢が基本。そんな私に快く応えてくださった担当医の先生には、心から感謝しています。

さあ、約1カ月近く続いた絶食ももうすぐ終わり。痛い思いはしちゃうけれども、もうすぐ…もうすぐだからね。そして、「どうか明日の手術が、腹腔鏡だけで済んで開腹になりませんように…」と祈ることしかできませんでした。

3.「ん?何かヘンかも?」と思ったときは仕切り直しのチャンス

晴れて希望したB大学病院では胃と腸をつなぐ手術の日も決まり、それに合わせて夫は転院することになりました。

大学病院が忙しいのは百も承知しています。私が通っていた時も、待ち時間半日、診察10分なんてのはザラで、患者数が多いものねと理解していました。が、それにしても転院初日に暗くなっても担当医が顔を出さないというのは大学病院では普通なのでしょうか?
「お手すきのときにお話ししたいので…」とお願いしていても、です。きっとお手すきじゃないのだろうと100歩譲って我慢していましたが、一事が万事この状態は不安だなぁと思っていました。

この不安が決定的となったのは、手術の説明を受けたとき。
「えぇっと、ご主人様の場合はこのように開腹いたしまして、ここに腸ろうを着ける手術を行います。」…担当医という医師は、慣れていないのか自信なさそうな口調で、縦線2本(=胴みたいです)の真ん中に真っすぐ線を書いていきます。(なんじゃそら?幼稚園児だってもう少しまともな絵が描けるだろう)と思いながら、「は?開腹手術?前の病院では、体力温存を優先して腹腔鏡術でと伺っていましたが…こちらの病院では無理なのですか?」と聞くと、「がんの末期ですので、腹膜に転移しているかどうか確認するためです。」とのこと。

私「お腹開けたら体力消耗しちゃいませんか?ただでさえ、1カ月近く絶食ですし。それに、もし腹膜に転移していなかったら?」
担医「でも、末期がんですので念のために。」
私(念のためって何?さっきから答えになってないし。大丈夫?この人)「えぇっと、そしたらこの腸ろうはどういう意味が?」
担医「将来、食事ができなくなったときのためとして、今のうちに念のため。」
私(また、念のためかよ。念のためでイチイチお腹を開けるって勘弁してよ)「いえいえ、そもそもなんですけどね。私たちは、まず食事ができるようになりたいんです。そのためのバイパス手術であって、がんについては次の段階として考えていて…」

すると、担当医より少し後ろの位置に座っている先輩らしき医師が
先医「あの、ご主人様は手術しても食べられるようになるとは限りませんよ。」
私「はい?手術しても食べられないんですか?」
先医「ええ、その可能性もあるということです。ご主人様は末期ですから。」
私「食べられなければ、がんの治療はどうなんですか?難しくなるのでは?」
先医「そうなることもありますよねぇ。末期ですしね。」

…ていうかさぁ、さっきから聞いていれば、本人を目の前にして
末期、末期って、うるせーーーよっ!
こっちは、これから頑張ろうと思ってるんだよっ!
言葉にこそ出しませんでしたが、ブッチーンと切れました。
もういい。この人たちと話をすればするだけ、隣で聞いている夫を傷付け絶望させてしまうことになるのでこれ以上話したくもありません。

もちろん、この手術に同意できるわけもなく「サインはできません」とお断り。こちらからお願いしておきながらお断りとは、前代未聞かもしれませんが、譲れないものは譲れない。体力にも影響する手術だけに、納得できないことへのサインはできません。それに、末期だから何やっても無駄的な口ぶりだし言葉に「心」がまったく見られない、と感じるのは私だけでしょうか?こういう世の中ですから、リスクヘッジしたいこともわかります。でも、医師自らが患者に絶望感を与えるような発言は本末転倒。明らかなコミュニケーション不足を痛感しました。

そして、私たちは病室に戻って「この先、どうするか?」を話し合いました。が、夫は「もうなんだっていいよ……」と投げやりです。ああぁ、いわんこっちゃない。でも、こういうときこそ家族の出番!?ここは私自身も冷静にならないとイケマセン。
いやいやいや、気持ちはわかるけれども、そこはちゃんと向き合おうよ。体裁も何も関係ないし、そんなのどうにでもなるし、今ならまだ間に合う。大袈裟な言い方だけど、「さっきの先生に、自分の命を預けられる?どの先生なら、信じられる?」…その視点で考えよう。
出した結論は「早くここを出て戻ろう」。……私は翌朝すぐに、A病院に戻るための転院手続きを進めました。

ちなみに、ちょうどその頃病室では週1回行われる院長様回診があったそうです。『白い巨塔』のシーンさながらの大名行列といったところでしょうか。面会時間外ですので、私は残念ながらそのシーンを拝見できなかったのですが、、、

院「どうですか?食事は摂れていますか?」
夫(は?何言っちゃってるの?)「いえ、絶食中ですけど…」
院「そうですか。食べられなくなっちゃったかなぁ?」
夫(アホか?わかってないにもほどがある。というか、カルテも見てないの?)「…………」
チーン!
ええっと、この院長様って確か外科の教授様でもありましたよね?何、このトンチンカンなやりとり。あまりにも間抜けすぎて、『白い巨塔』の財前五郎もお嘆きでしょう。

また、同じ日の午後、私は准教授様という医師から「キャンセルする理由を聞きたい」と呼び出されました。私も一応大人ですから、こちらから希望しておきながらという点は丁重にお詫びしました。準備もしてくださったことでしょうし、受け入れてくれたことについては感謝を示したうえで、手術辞退と戻りたい理由を洗いざらい話しました。
そして、話の流れで「余命は伝えていない」と言ったところ、「今朝、院長回診でご主人様にお会いしましたが、しっかりと受け止められる方だとお見受けしましたよ。そういう方に、余命を伝えないのはご本人のためになりません。伝えた方がいいですよ。」とご丁寧にアドバイスまでいただいてしまい、私は苦笑するしかありませんでした。うわーん、ダメだ、こりゃ。

えっと、わずか5分もいないのに?しかも、直接会話をしていないのに?一体夫の何がわかるというのでしょうか?あなたは、透視能力でもお持ちなのでしょうか?……突っ込んでみたい気持ちもありましたが、こういう人と話していること自体時間の無駄。こういう感覚の上司だから、ああいう部下が育ってしまうのも仕方がないのかもしれないですね。お気の毒、とさえ思えてきました。

そうはいっても、現実を突きつけられた、という思いもありました。もちろん、大学病院すべてがそうだと決めつける気はありませんし、批判する気もありません。こちらの大学病院にも、気持ちの通じる医師はいらっしゃるのだろうと思います(そう思いたいです)。今回のケースは、私たちと相性が合わなかっただけ、なのだと思います。
でも、これで「大学病院に行っていれば…」も「吉方位に行っていたら…」という迷いもすっきり。大学病院押しの義兄にも納得していただき、大手を振っての出戻りとなりました。

がんに限らず大きな病気になると、どの病院に行こう?と迷う方は多いと思います。でも、それ以上に大事なのは「どんな医師」に診ていただくか?で、「相性が合うor合わない」は患者本人はもちろん家族にとっても大きいと実感しました。
それに、戻れる病院があった私たちはむしろラッキーな方。ですから、安易に「嫌だったら我慢しないで、とっとと病院を変えた方がいいよ。」なんてことを言うつもりはありません。それも縁だったり、タイミングだったり、いろいろな条件があってこそ。

ただ、疑心暗鬼のまま物事を進めるのは後悔や迷いに繋がってしまいますし、大事なことさえ見失ってしまう危険性があるような気がするのです。心の中で「ん?」「おかしいのでは?」という違和感があるときこそ、一度立ち止まってみることも必要。ピンチ!と思ったことが、実はいろいろなことを考えるきっかけになることだってあります。なので、仕切り直し上等!なのです(笑)