4.がんのことを職場や友達にどこまで報告する?

家族が病気になると、周りの人たちに報告することも家族の役目。
といっても、誰にどこまでのことを伝えたらいいのか……うむむ、どうしよう。

いくら2人にひとりががんになる時代といっても、聞いた相手は動揺してしまうでしょう。ましてや、「すい臓がん ステージ4b」。がんの知識が全くない人でも、想像力をかきたてるくらいセンセーショナルな言葉の響きです。
それに、夫は「男は黙ってサッポロビール(例えが古い)」なタイプで、「大騒ぎにしたくないんだよなぁ」と言います。ええ、私もできれば大袈裟にしたくないです。でも、ずっと内緒にしておくわけにもいかないのですわ……。

まずは、身内。
本当なら一番にお義母さんに伝えなければいけないのでしょうが、1年前に大きな手術をしたこともあってちょっと心配。日常生活はおくれるようになったものの万全とはいえず、身体のことを考えると伝えるタイミングを慎重にしなければ…。ですので、まずは実家で敷地内同居をしているお義兄さんに連絡しました。やはり「今すぐには言えないなぁ。タイミングを見て俺から話すよ」とのことで、義弟くんや親戚への連絡も含めてお義兄さんに全てお願いすることにしました。
一方、私の母は83歳と高齢ですが、元看護師ということもあって医療知識皆無な私にとって心強い存在です。時代は違っても、人体のメカニズムは変わりません。母には、すぐに連絡を入れました。

職場には、さすがに内緒というわけにはいきませんから、お店のオーナーには報告をしていました。オーナーの方も電話の向こうで言葉を失い固まってしまうほど、その衝撃の大きさは伝わってきていて「どこまでメンバーに話していいのか…」という状態。
ですよねぇ。どこまで情報開示するか……早急に夫と話し合わなければいけません。

そして、夫の友人や仲間の皆さんのこと。
私自身、夫の交友関係を全て把握しているか?といったら、お互い様とはいえかなり怪しいもの。しかも、飲食業界は一般的なサラリーマン以上に横のつながりが多い業界。入院によって余儀なく休職ともなれば、「どうした?」「何があった?」「なんだか、○○らしいよ」と噂が噂を呼び、広がってしまうのも時間の問題で避けられないでしょう。人の口に戸をたてられませんしね。それに、聞かれた側(お店のオーナー)もどう答えていいか困ってしまいます。なので、、、

ええーい、全部話してしまえ!
という結論に至りました。

「聞いて聞いてー」と宣伝するつもりは毛頭ないですが、内緒にしておくことで周りの憶測や詮索が正直めんどくさい(そこ?)。入院中ですから携帯に電話してくる人は少ないですが、メールやLINEなど「ある意味便利、ある意味面倒なツール」もある世の中。心配してくださる気持ちは有難いのですが、そう頻繁にピロピロ鳴られても……ねぇ(汗)ごくごく普通の一般ピーですらカタチは違えどこうなるのですから、マスコミにイチイチ張られてしまう芸能人の方は本当にお気の毒…。海老蔵さんが奥様のことで記者会見したお気持ちも、何となくわかる気がします。

幸い夫の場合は、「自分が窓口になるから」と言ってくださった友達がいてくれたので助かりました。彼は夫と20代の頃からの友人で、毎月ゴルフにも行っていた仲。同じ飲食業界ですし、私以上に夫の交友関係を知っている人です。もうひとり、出会いのきっかけはお店のお客様ですが、毎月のゴルフに行くくらい仲良くしていただいた方。仲良しゴルフトリオのおふたりには家族と同じように全てを伝えて、そこから先の連絡はお願いしました。そして、「もし聞かれたら、全部話してくださって構いません」ということも。

がんになったことを周りに伝えることでガンバロウと思える人、家族のみ共有することで穏やかに向き合える人、めんどくさいから話しちゃえという私たちみたいな人(笑)、いろいろなケースがあると思います。これも人それぞれ…と「それじゃあ、参考にならないよ」という話になってしまいますが、できるだけ負担やストレスにならない方法を選びたいものです。

当初の私は、夫婦ふたりだけというのもあって「全部私がやらなくては!」という気持ちが強かったです。でも、自分ひとりができる範囲なんて限られているんですよね。だから、抱え込まないようにして、周りの方々に甘えさせていただくことにしました。それは、私の友達にもいえていて、ずいぶんと愚痴を聞いてもらったり、背中を押してもらったり、アドバイスしてもらったり…と支えていただきました。特に私は、すぐ一杯一杯になってしまうタイプなのでなおのこと。個人的には、周りに話したことで救われている私がいました。

3.「ん?何かヘンかも?」と思ったときは仕切り直しのチャンス

晴れて希望したB大学病院では胃と腸をつなぐ手術の日も決まり、それに合わせて夫は転院することになりました。

大学病院が忙しいのは百も承知しています。私が通っていた時も、待ち時間半日、診察10分なんてのはザラで、患者数が多いものねと理解していました。が、それにしても転院初日に暗くなっても担当医が顔を出さないというのは大学病院では普通なのでしょうか?
「お手すきのときにお話ししたいので…」とお願いしていても、です。きっとお手すきじゃないのだろうと100歩譲って我慢していましたが、一事が万事この状態は不安だなぁと思っていました。

この不安が決定的となったのは、手術の説明を受けたとき。
「えぇっと、ご主人様の場合はこのように開腹いたしまして、ここに腸ろうを着ける手術を行います。」…担当医という医師は、慣れていないのか自信なさそうな口調で、縦線2本(=胴みたいです)の真ん中に真っすぐ線を書いていきます。(なんじゃそら?幼稚園児だってもう少しまともな絵が描けるだろう)と思いながら、「は?開腹手術?前の病院では、体力温存を優先して腹腔鏡術でと伺っていましたが…こちらの病院では無理なのですか?」と聞くと、「がんの末期ですので、腹膜に転移しているかどうか確認するためです。」とのこと。

私「お腹開けたら体力消耗しちゃいませんか?ただでさえ、1カ月近く絶食ですし。それに、もし腹膜に転移していなかったら?」
担医「でも、末期がんですので念のために。」
私(念のためって何?さっきから答えになってないし。大丈夫?この人)「えぇっと、そしたらこの腸ろうはどういう意味が?」
担医「将来、食事ができなくなったときのためとして、今のうちに念のため。」
私(また、念のためかよ。念のためでイチイチお腹を開けるって勘弁してよ)「いえいえ、そもそもなんですけどね。私たちは、まず食事ができるようになりたいんです。そのためのバイパス手術であって、がんについては次の段階として考えていて…」

すると、担当医より少し後ろの位置に座っている先輩らしき医師が
先医「あの、ご主人様は手術しても食べられるようになるとは限りませんよ。」
私「はい?手術しても食べられないんですか?」
先医「ええ、その可能性もあるということです。ご主人様は末期ですから。」
私「食べられなければ、がんの治療はどうなんですか?難しくなるのでは?」
先医「そうなることもありますよねぇ。末期ですしね。」

…ていうかさぁ、さっきから聞いていれば、本人を目の前にして
末期、末期って、うるせーーーよっ!
こっちは、これから頑張ろうと思ってるんだよっ!
言葉にこそ出しませんでしたが、ブッチーンと切れました。
もういい。この人たちと話をすればするだけ、隣で聞いている夫を傷付け絶望させてしまうことになるのでこれ以上話したくもありません。

もちろん、この手術に同意できるわけもなく「サインはできません」とお断り。こちらからお願いしておきながらお断りとは、前代未聞かもしれませんが、譲れないものは譲れない。体力にも影響する手術だけに、納得できないことへのサインはできません。それに、末期だから何やっても無駄的な口ぶりだし言葉に「心」がまったく見られない、と感じるのは私だけでしょうか?こういう世の中ですから、リスクヘッジしたいこともわかります。でも、医師自らが患者に絶望感を与えるような発言は本末転倒。明らかなコミュニケーション不足を痛感しました。

そして、私たちは病室に戻って「この先、どうするか?」を話し合いました。が、夫は「もうなんだっていいよ……」と投げやりです。ああぁ、いわんこっちゃない。でも、こういうときこそ家族の出番!?ここは私自身も冷静にならないとイケマセン。
いやいやいや、気持ちはわかるけれども、そこはちゃんと向き合おうよ。体裁も何も関係ないし、そんなのどうにでもなるし、今ならまだ間に合う。大袈裟な言い方だけど、「さっきの先生に、自分の命を預けられる?どの先生なら、信じられる?」…その視点で考えよう。
出した結論は「早くここを出て戻ろう」。……私は翌朝すぐに、A病院に戻るための転院手続きを進めました。

ちなみに、ちょうどその頃病室では週1回行われる院長様回診があったそうです。『白い巨塔』のシーンさながらの大名行列といったところでしょうか。面会時間外ですので、私は残念ながらそのシーンを拝見できなかったのですが、、、

院「どうですか?食事は摂れていますか?」
夫(は?何言っちゃってるの?)「いえ、絶食中ですけど…」
院「そうですか。食べられなくなっちゃったかなぁ?」
夫(アホか?わかってないにもほどがある。というか、カルテも見てないの?)「…………」
チーン!
ええっと、この院長様って確か外科の教授様でもありましたよね?何、このトンチンカンなやりとり。あまりにも間抜けすぎて、『白い巨塔』の財前五郎もお嘆きでしょう。

また、同じ日の午後、私は准教授様という医師から「キャンセルする理由を聞きたい」と呼び出されました。私も一応大人ですから、こちらから希望しておきながらという点は丁重にお詫びしました。準備もしてくださったことでしょうし、受け入れてくれたことについては感謝を示したうえで、手術辞退と戻りたい理由を洗いざらい話しました。
そして、話の流れで「余命は伝えていない」と言ったところ、「今朝、院長回診でご主人様にお会いしましたが、しっかりと受け止められる方だとお見受けしましたよ。そういう方に、余命を伝えないのはご本人のためになりません。伝えた方がいいですよ。」とご丁寧にアドバイスまでいただいてしまい、私は苦笑するしかありませんでした。うわーん、ダメだ、こりゃ。

えっと、わずか5分もいないのに?しかも、直接会話をしていないのに?一体夫の何がわかるというのでしょうか?あなたは、透視能力でもお持ちなのでしょうか?……突っ込んでみたい気持ちもありましたが、こういう人と話していること自体時間の無駄。こういう感覚の上司だから、ああいう部下が育ってしまうのも仕方がないのかもしれないですね。お気の毒、とさえ思えてきました。

そうはいっても、現実を突きつけられた、という思いもありました。もちろん、大学病院すべてがそうだと決めつける気はありませんし、批判する気もありません。こちらの大学病院にも、気持ちの通じる医師はいらっしゃるのだろうと思います(そう思いたいです)。今回のケースは、私たちと相性が合わなかっただけ、なのだと思います。
でも、これで「大学病院に行っていれば…」も「吉方位に行っていたら…」という迷いもすっきり。大学病院押しの義兄にも納得していただき、大手を振っての出戻りとなりました。

がんに限らず大きな病気になると、どの病院に行こう?と迷う方は多いと思います。でも、それ以上に大事なのは「どんな医師」に診ていただくか?で、「相性が合うor合わない」は患者本人はもちろん家族にとっても大きいと実感しました。
それに、戻れる病院があった私たちはむしろラッキーな方。ですから、安易に「嫌だったら我慢しないで、とっとと病院を変えた方がいいよ。」なんてことを言うつもりはありません。それも縁だったり、タイミングだったり、いろいろな条件があってこそ。

ただ、疑心暗鬼のまま物事を進めるのは後悔や迷いに繋がってしまいますし、大事なことさえ見失ってしまう危険性があるような気がするのです。心の中で「ん?」「おかしいのでは?」という違和感があるときこそ、一度立ち止まってみることも必要。ピンチ!と思ったことが、実はいろいろなことを考えるきっかけになることだってあります。なので、仕切り直し上等!なのです(笑)

2.どうする?入院している病院がまさかの凶方向

病院を選ぶとき、方角(気学)などを気にしますか?
※「そんなの迷信だよ」「気にならない」という方は、ここをスルーしていただく方がいいかもしれません。

私たちはどちらかというと信心深い方で、“目に見えない力”も信じるタイプ。でも、「そりゃあ、悪い方向よりも良い方向の方がいいよね。でも、悪い方向を避けたいと思ってもそういかない現実もあるし、全部を気にしていたらキリがない。」とゆる~い系。引っ越しなど大きな節目や転機のときは専門の先生にみていただいて物件を探しますが、病院となるとそう都合よくあるとは限りません。でも、今回は我が家の一大事。だからこそ、私たちは気になっていました。

もちろん救急車で運ばれたときはそんな考えも及ばず、カルテがある&自宅から一番近い、という点で地域の中核病院であるA病院に搬送されました。このA病院は以前某大学病院で、そこが数年前に撤退して新たな病院となったわけですが(調べたらわかっちゃうかもしれませんね…汗)、私は大学病院時代にとても腹立たしい思いをした経験があります。

といっても、病院の母体も組織もすべて入れ替わっていますし、担当医の先生は説明が丁寧でウマが合うというのでしょうか…とても話しやすい先生。特に不満はなかったのですが、どうしても大学病院時代のイメージが拭えません(頭でわかっていても気持ち的に)。そして、近くにあるB大学病院のことも気になっていました。…というのも、どこの病院へ行ってもわからなかった私のある病気が、この病院で明らかになったということがあったため。受診した科は違いますが、大学病院だったらもっと画期的な治療法があるのかもしれない、という期待もありました。

それに、都内にはがん専門の有名病院もあります。自宅から少し遠くても、セカンドオピニオンも受けてみたい。毎日ネットで検索しては、病院の情報を集めてリストアップしていきました。そして、これと同時進行でやったのが方角をみていただく、ということだったのです。

その結果、、、
・入院しているA病院・・・暗剣殺
・行きたいと思っているB大学病院・・・2番目にいい吉方位

よりによって暗剣殺とは…思いっきり凶方位って。がーーん!
こうなると、ますますB大学病院に行きたくなってしまいます。でも、担当医の先生に何て言おう…いい先生だけに、さすがに言いにくい。でも、先生に不満があると思われるのは不本意なので、思い切ってありのままを伝えました。ただし、「方角にうるさい親族がいる」という建て前で……(ごめんなさい)

「わかりました。では、B大学病院が受け入れ可能かどうか次第ですが、私は早速紹介状を作りましょう。」……非科学的な理由にふふんと鼻で笑われるかと思いきや、あっさり快諾。「本当に申し訳ありません!たかだか方角ごときでお手数をおかけしてしまい……先生には何の不満もなく、先生に診ていただきたいのはやまやまで」とあれこれ弁解する私に(これも本音ですが)、「いえいえ、方角を気にされる方もいますし、私のことはまったく気にしなくていいですよ。それより後で何かあったときに、方角通りにしなかったから、と奥さんが責められるでしょ?それも選択肢のひとつ。だから、気にしないように。」……まさか超理系の先生からこんな話をされるとは思ってもいなく、思わず涙が出ました。

その2日後には紹介状を手渡され(この先生は仕事も早いのです)、転院に際してのアドバイスやフォローもしていただき、夫はB大学病院に転院することが決まりました。このことを義兄に伝えると、「俺も言おうと思ってたんだよ。東京なら大学病院もたくさんあるし、大きいところの方がいいと思ってさ。でも、大学病院に移れるのなら良かった。」とのこと。

入院から3週間、冗談なども言い合えるくらい仲良くなった担当医の先生とお別れするのは本当に心苦しかったのですが、方角が最悪となれば仕方ありません。次のステップに向けて頑張っていこう!と思っていた私たちを待ち受けていたものは……。
これほどまで主治医の先生にお力をいただき、こちらから希望したB大学病院への転院。しかし、わずか3泊4日しただけでA病院に戻ることになります。(この内容は別ページで書きます。)

方角については賛否両論いろいろなご意見があるでしょうし、実際に私たちも一度は方位を頼りに動きました。でも、方位はあくまでも目安で、いろいろな視点で物事を判断することの方がもっと大切だと痛感しました。もちろん転院したからこそわかったことも多くあって、少し遠回りをしたかもしれませんが、この経験は無駄じゃなかったと思っています。もし、あのとき転院自体をあきらめていたら「やっぱり暗剣殺だったから?…」「大学病院に行っていたらどうだった?」という思いにずっと捕われていたかもしれません。

私たちにとってのきっかけは方角でしたが、「行ってみたい」「やってみたい」と思うことは後回ししないで、可能な限り行動してみることが大事。そこからまた判断していけばいいのかなぁ、と思うのです。でも、これを読んで「試しに病院の方角を調べてみよう」などと思わないでくださいね。この部分を追求していくと、はっきりいって結構面倒です。くれぐれもご注意ください。

1.本人へのがん告知はどこまで?

がんがわかると、家族は先生から聞かれます。「ご本人にどこまで伝えますか?」と…。
早くも選択をしなければいけない現状を突きつけられます。

数年前、私たちの友人ががんでお亡くなりになった際、夫は「もしがんになったら、俺は全部知りたい」と言っていました。私も全部知りたい派。そのときは、「包み隠さず、全部伝えよう」とお互いに約束していました。
そうはいっても、何もしなければ「余命半年」という内容はヘビーです。いくら冷静沈着な夫でも、さすがに受け止めるには大きいのでは?…いやいや、そもそも全部って何?そこに、余命宣告は含まれているんだっけ?…でも、余命ってあくまでもデータだよね?データも大事だけど、そんな未来予測って意味ある?……頭の中が「?」だらけになります。

ちなみに、実父のとき(28年前)は誤診の末での発覚でしたので、がんということも伝えず内緒を貫きました。
義父の場合(7年前)、家族は「がんということも伝えたくない」と全員一致でしたが、担当医という人が「それでは、緩和ケアを行う上で支障が出る。患者さんになぜ治療をしないんだ?と聞かれたら、私はどうしたらいいのですか?信頼関係が失われて…」とグダグダ駄々をこねまして、義母も義兄も告知することに渋々承知しました。
正直「この医者はバカか!?」と思いました。「どうしたらいいって、それを家族に言っちゃう?そのくらい上手くかわすこともできないの?アホか!」と断固阻止したかったですが、私は次男の嫁という立場。義母と義兄がOKした以上、そこで口を挟むのはいかがなものかと従いました。そして、「末期の大腸がんで余命3カ月」と言われた義父は、その2週間後に旅立ってしまいました。

そんなこともあったからでしょうか。私は、とっさに「余命以外すべてを…」と答えていました。
まずは、先生から「事実」を伝えていただこう、と。そのうえで、本人が知りたいと思ったら聞くだろうし、知りたくないとしたら聞かないだろうし、そこは夫に委ねようと思いました。

というのも、私たち夫婦は子供に恵まれず、ずいぶん昔に病院を受診するかどうかで話し合ったことがあります。そのとき夫は、「もし俺に原因があるとわかったら、その事実を一生抱えられる自信はない。物事には白黒はっきりさせることが必要なこともあるけど、グレーはグレーのままでいいこともあると思うよ。」と言いました。結果として病院に行かず現在に至っているわけですが、この余命も彼にとってグレーゾーンかもしれない、と思ったからです。

残りの人生、やりたいことするためにも余命宣告をした方がいい…という意見もわかります。
でも、こればかりは正解は存在しなくてケースバイケースなんだろうな、と思います。本人の性格、行動パターン、物事に対する考え方や対処の仕方などによってそれぞれ違うと思いますし、違っていて当たり前。みんなそれぞれ違うのです。本人が知りたくないと思っていることを伝えるのは、周りのエゴでしかないのでは?と思います。

しかし、後で詳しい内容を書きますが、「余命宣告をしないのは本人のためになりません。伝えた方がいいですよ。」とご丁寧に勧める医師がいることも事実(実際に私は言われました)。幸い夫の担当医の先生は、「自分の立場では決められません。ご本人様を一番よく知っているのはご家族ですから」と言ってくださったので助かりましたが、デリケートなことだけに慎重に選びたいものです。

もちろん余命宣告を否定しているのではありません。もし私なら、間違いなく「で、私はいつまで?」と聞くでしょうから…。正解はコレ!それは間違い!というマニュアルがあって、それに従えたらどんなに楽でしょう。でも、マニュアル通りにいかないのが人生。だからこそ、たくさん悩んで、いろいろ迷い考えながら選択していくのではないでしょうか。

案の定、夫は先生の説明を一通り聞いて「何か質問はありますか?」の問いかけに「別に何もありません。」ときっぱり。ああ、やっぱりな、と思いました。でも、結構鋭い夫でもあったので、「そこまでの症状で余命について言わないということは、そういうことね。ははーん、隠しているな。」と勘付いていたのかもしれません。それは、本人のみぞ知る、でしょう。

余命については結局最後まで話すことはありませんでしたが、夫が「やりたい」と言うことを可能な限り実現できるようにサポートしていこうと思いました。そして、私自身「データなんかに左右されてたまるものか!」と強く思ったのです。

すい臓がんがわかるまで~運命のがん告知

前回に続いて、すい臓がんが発覚するまでの経過です。

出血性ショックになるほど大量出血を引き起こした腫瘍の正体。
「悪性腫瘍かもしれない」「がん」という言葉が頭のなかでグルグルしていましたが、過去に私が「大腸がんかも!?」といわれて青ざめて検査したところ何でもなかった(チャンチャン!)、ということもあって確定するまで信じないと決めていました。

まずは、内視鏡で十二指腸にできている腫瘍の細胞を採取して生検へ。
結果……何も出ず。

すでに救急搬送時の検査データで、先生はがんの可能性が濃厚、と思っていたでしょう。
7日の時点で、腫瘍マーカーのSPAN-1が187U/ml、DUPAN-2が414U/mlと高い数値(後に見せていただきましたが)。
CTにもぼや~んとした怪しい影(これも後日見せていただきました)。
でも、告知するも何も先生だってコレ!という確証を掴めなければできません。
結果的に超音波内視鏡検査(EUS)を行い、すい臓に針を刺して採った細胞でがんが見つかりました。

ここまでに、10日が経過。
その間に輸血やり~の、迷走神経反射による血圧低下でぶっ倒れ~のとありましたが、それを除けば夫の様子は普段通り。いつもと違うのは、食事ができないこと。
「ああ、腹減ったー」「何でもいいから食いてーー」「食事時間のウマそうなニオイにイライラする」愚痴をこぼしながらも、なかなか結果の出ない状況にご機嫌斜めになることもしばしば。
でも、文句をいえたり機嫌が悪くなるのは、ある意味元気な証拠、なのでしょうね。

それにしても、今の先生はごく日常的なトーンでさらっとがんの話をするんですね。(私のがん疑惑事件のときもそうでした)
6人部屋の病室で、「十二指腸からがんは出ませんでした」→「腫瘍マーカーを見るとすい臓がんの疑いも…」→「やっぱりすい臓がんでした」と日々変化していく話に、「がんも随分ポピュラーな病気になったもんだ」「ほーんと、全く深刻じゃない感じ~」なんて会話をしていても「ヤバい」「どうしよう」と脳内アラートが点滅しています。

詳しい告知については、まず先に私だけが呼ばれました。
呼ばれたというより、院内のコンビニに行こうとしたときに呼び止められたような…そのときの記憶は定かでないですが、カンファレンスルームに入って以下のことを告げられました。

・膵鉤(すいこう)部から十二指腸にかけて7cm以上の腫瘍あり。
・原発巣はすい臓で、十二指腸に浸潤している模様。
・さらに、この腫瘍が腸につながっている上腸間膜動脈(SMA)を巻き込んでいるため手術は不可能。
・さらにさらに、小さいながらも肝臓に転移しているのが見られる。
・よって、すい臓がんステージ4bと診断。
・余命は、何もしなければ半年。化学療法をしても1年。(あくまでもデータ上という前提で)

こんなイメージでしょうか。

cancer_img
※「遠隔画像診断.jp」さんの画像を引用させていただきました。

私は先生の説明に、「はぁ…」「へ?」「そう…です…か……」「は?」と心ここにあらずな返事しかできませんでした。
よくドラマや映画で「せ、先生、ウソでしょ?ウソと言ってください!」と取り乱し号泣するシーンがありますよね。でも、あんなのはウソ(※個人の見解です)。人は想像をはるかに超えた事態に直面すると、こんなマヌケな返答しかできないのかもしれません。

さあ、このがんとどう向き合っていこうか?
といきたいところですが、夫の場合はがん治療以前に食事が摂れるようにすることが先決。胃と腸を直接つないで、出血するリスクの高い十二指腸の腫瘍部分に食べ物が通らないようにする「胃空調バイパス手術」を提案されました。

まずは、食事が普通にできるようにすること。これが私たちの目標となりました。

すい臓がんがわかるまで~自覚症状や兆候

「がんの王様」と呼ばれているすい臓がん。
ここまで医療が発展しても、早期発見の大切さが叫ばれている昨今でも、初期でわかるケースは稀といわれていますよね。
有効的といわれているPET検査でさえ、すい臓がんの早期発見は難しいようです。
すい臓は「沈黙の臓器」といわれていますが、超無口な夫だけに彼のすい臓も無言状態!?
その“スーパー無口”なすい臓が悲鳴を上げたのは突然でした。

2015年3月6日の夜、夫は仕事着のまま帰宅しました。
夫は、学校を卒業してから料理人一筋の人生。仕事着のまま帰宅するのは一度もありません。
聞くと、「営業中に貧血で倒れて、車で送っていただいた」とのこと。
昼間には血便が出たといいますし、顔も真っ青なので夜間救急で診てもらうことに…。

私はすぐに近くの病院に電話で問い合わせしはじめました。
電話でやり取りをしている間、夫はズルズルと横になってしまいイビキをかきはじめます。
「疲れているのだろう」と話を続けながらふと見ると、今度はビクッビクッと痙攣している夫の姿。
電話でやり取りしていたわずか5分程度で、明らかな急変です。

「ちょ、ちょっと待って!痙攣しているんですけど!」…もう私自身がパニックです。
病院関係者の方と話していたのも幸いして、「すぐに救急車を!」という指示に従いました。
素人の私が見ても、救急隊の方々の動きから緊急度が高いことはわかりました。
血圧の低下に意識も朦朧。酸素吸入されて、こちらからの問いかけにも無反応に。
原因は出血性ショックで、そのまま入院となりました。

聞けば、十二指腸の辺りから大量出血して、胃の3分の2まで血液が溜まっていた、とのこと。
あと30分遅かったら命が危なかった、という先生の言葉を聞いて背筋が凍りました。
あっちで検査、こっちで検査とストレッチャーで運ばれ、病室に入ったのが午前2時過ぎ。
ぐったりしているものの意識が戻った夫と少しだけ話して、一旦私は自宅に戻りました。
このときはまだ「がんかも…」という疑いすらしてなく、長い入院になることさえも全く想像していません。
今でも救急車の音を聞くと、この出来事がトラウマのように甦ってきます。

実はこの3日前、夫はこの病院を訪れています。
「胃もたれみたいな感じでときどきシクシク痛む」という症状が年末から続いていたから。
激痛ではないし、年齢的に胃がもたれやすいのかなぁ…程度に受け止めていましたが
「さすがにオカシイ」と重い腰をあげ、翌週に胃の検査を控えていた矢先でした。
ふたり揃って呑気といえばそうなのでしょうが、夫も私も大の病院嫌いなんです……。

「背中が痛い」というのも確かに言っていました。
でも、料理人という職業柄なのか、腰や背中の筋肉がこりやすく若いときから痛みがありマッサージなどに通っていた程。
すべて今にして思えば…になりますが、またいつもの痛みだろうと思っていました。
体重も減っていなかったですし、よく言われている黄疸も出ていません。
鈍痛のある胃もたれと背中の痛み。自覚症状といえば、たったこれだけでした。

さて、緊急入院となった夫は、十二指腸にできている腫瘍が食べ物の通過で擦れて出血したことがわかりました。
次の段階は、この腫瘍が何者なのか?ということ。
このとき、「もしかしたら十二指腸がんの可能性もある」と言われて「がーーん」となりましたが(ダジャレではありませんw)、
「だとしてもきっと初期だよ。今どきのがんは初期なら治るでしょ?第一まだ決定したわけじゃないし」と、一瞬よぎった不安を消すように強気でお気楽な会話をしていました。

そして、いつまた出血するかわからないため、経過観察も含めて絶食を強いられる夫。
大好きな食事もおあずけ状態で、検査検査の日々を送ることになります。

はじめに…

「ご主人の病はすい臓がんです。ステージ4bで手術はできません。」

「……は?この先生、何言ってるの?」
忘れもしない2015年3月16日。
がんかもしれない、ということは事前に聞かされていました。
でも、私たちに告げられた言葉は心のどこかで他人事のように感じ
頭の中が真っ白というより、すぐに理解できませんでした。

でも、これは現実。
どう頑張っても変えることはできません。
どんなにちゃらんぽらんな私でも、大変なことが起きた、ということはわかります。
思考回路は止まっていても、心は動揺していたのでしょうね。
病院からひとりで帰るとき、意味もなくさまよい続けて「どうしよう…どうしよう…」
15分で着くところ1時間近くかかりました。

そもそも、すい臓ってどこよ?……そんなレベルのスタートです。
担当医の先生が説明してくれた内容も、全く頭に入っていません。
帰ってからネットで調べるも、調べれば調べるほど知りたくないことばかり。
パソコンの前で呆然となりながら、心臓だけがバクバクしていました。

私は何をしたらいいのだろうか?
夫にできることは何なのだろうか?
眠れぬ夜を過ごして出した結論は、「できるだけ後悔をしない選択をすること」でした。

実は実父も義父もがんで亡くしている私は、今でも病院の前を通るだけで胸の奥が押しつぶされそうになります。
「こうすればよかった」「他にやれることがあったのでは?」という後悔の念。
だからこそ、「あんな思いは二度としたくない」と強く思ったのです。

この日から、私たちの毎日はガラリと変わりました。
いつもクールで超が付くほど無口な夫に、明るいだけが取り柄で能天気すぎる私。
仕事の関係ですれ違いが多く、周りから「仮面夫婦」などと囁かれた時期もありましたが
この270日は、結婚生活23年のなかで一番濃密な時間を過ごしたような気がします。

今や、2人にひとりががんになるという時代。
患者さん本人はもちろんですが、支えていく家族も真剣です。
「第2の患者」といわれるくらい、家族の悩みや負担、ストレスは大きくのしかかってきます。
そのうえ、ネットで「がん」と検索すれば膨大な情報量に翻弄されることもしばしば…。
振り返ると、普段はいい加減な私でもがむしゃらに突っ走ってきたなぁ、と感じます。

そんな私が家族としてリアルに経験したことが、誰かのお役に立てるのかもしれない。
今、まさに苦しんでいる誰かの心をほんの少しでも軽くするお手伝いができるのなら…
そんな思いから、このブログをたち上げました。

はじめてのお盆を過ごした今、私自身もようやく自分の心と向き合う時期が来たようです。
タイトルに「100のこと」なんて大風呂敷を広げていますが(笑)
実際にやったこと、感じたこと、考えたことなど、夫との思い出とともに少しずつ綴っていきます。