9.勇気をもらうことも落ち込むこともある、「がん闘病記ブログ」との関わり合い方

前回の続きにもなりますが、ネットでがん情報を探しているとたくさんの方々の「がん闘病記ブログ」に出会います。その多くは患者さんご自身によるものだったり、支えているご家族のものだったり。それぞれの立場での心境や治療のリアルな経過などは、お役所や病院が公開しているサイト以上に参考になることが多く、私自身も役立たせていただきました。

なかでも、余命宣告を受けた方が、その余命を何年も超えてお元気に過ごされているブログは、私にとっての希望でした。お会いしたこともなく、お話もしたこともない方々だとしても、同志というか仲間というかどこか身近な存在に思えて「ああ、良かった」「すごい、すごい」と素直に嬉しい気持ちになります。そして、大きな勇気を与えてくださいました。

その一方で、「がん」という病は「死」が関係することも多く、どんなに頑張っている方でも悲しい結末を迎えられることだって少なくありません。それも現実、宿命なのでしょう。ましてや、「治療をしても余命1年」の「すい臓がんステージ4b」という宣告を受けた夫です。それでも、あえて頭の片隅に追いやって「考えない」「あきらめない」と無理矢理遠ざけていた「死」が、ブログを読むことで急に現実となって、夜中にどよーんと落ち込んでしまう日々もありました。

でも、私の目の前にいる夫は少し痩せたけれども、普通に会話ができるしこれまでと変わらず元気なのです。
胃空調バイパス手術をして、食事もできるようになり、これから治療を頑張ろうとしているのです。
状況が状況だけに、心のどこかで夫自身も「死」を意識することもあったでしょう。でも、それをおくびにも出すこともなく、弱音も一切吐きません。

それなのに、一番身近にいる私がクヨクヨしてどうするの?
「まだ何も勝負していないのに、勝手に俺を殺すんじゃない」と怒られちゃいそうです。

ですので、「ここから先のお話は、あとで読ませていただきます」とページを閉じることにしました。
他所様のブログを読んでいると、何とな~くですが、いい状況かそうでないかがわかってきます。表現として適切でないかもしれませんが、自分たちが置かれているそのときそのときで「いいとこ取り」をさせていただく、という感じでしょうか。

本音をいえば、その方がどうなったのか……ものすごく気になります。気になるのですけれども、それを読んでショックを受けたり、落ち込んでしまうような精神状態なら、「まだ読んではいけない」ということなのでしょう。と、自分自身をコントロールするように心がけました。

今は、スマホを持っていればいろいろな情報が手に入ります。患者さんご自身がブログをアップできるのと同じように、良くも悪くもいろいろな情報を目にすることも可能です。しかし、情報によって気持ちが揺れ動いてしまう私のようなタイプの方は、ときには「見ない」という選択もひとつの方法なのかな、と思います。ですから、このブログをお読み下さっている方も、ぜひ「いいとこ取り」をしてくださいね。「これはちょっと…」と思うときは、迷わずスルーしちゃってください。

ちなみに夫は、いいのか悪いのか…普段から「ググる」という習慣がないうえに、「目が疲れる」といって画面の細かい字を読むのを嫌がるようなタイプでした。タブレットなら文字も大きくていいだろう、と買ってみましたが、「邪魔だからいらない」と返してきたくらい超アナログ人間です(笑)

そんな夫でしたが、眠れないときは病室のベッドで「すい臓がん」を検索していた夜もあったのでしょうか……。今となっては確認するすべもありませんが、そこは神のみぞ知る、ということにしようと思います。

5.「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき

がんのことを周囲に知らせると、周りの方々はいろいろな声をかけてくださいます。
その多くは励みになったり、「ガンバロ!」と前向きな気持ちにさせていただける有難い言葉なのですが、ときにはその言葉によって傷付いたり腹が立つこともたま~にあります。相手の立場を考えてみれば、何の気なしに出てしまっただけで、言ったことも忘れてしまうくらい日常的なこと。悪気なんて全くない、ということもすっごーーくわかります。だからこそ、「え?」と思っても、無難な対応してその場をやり過ごそうとします。

それに、私も夫のことがなければ、無意識という名の免罪符のもと誰かを傷付けている(いた)のかもしれません。一度出してしまった言葉は、「なかったことに」できないですからね。だからこそ、言葉って本当に難しい…。といっても、「みんなー、がんだから気を遣ってね~」とか「言葉には、くれぐれも注意してね~」なんていう気はこれっぽちもありません。

どちらかというと、当事者だからこそ通じる「あるある話」。「なんだ、自分だけじゃないのね」と思って心を楽にしていただけたらいいな、と思います。なので、私が実際に言われて「はい?(は?ケンカ売ってんのか?)」「キツイなぁ、それ」「どうしてそういう言い方するかなぁ」と感じた言葉を小出しに挙げていこうと思いますが、まずは「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき。さすがに、夫に直接言っているのは見ていないです(知らないだけかもしれませんが…)が、私は何人かに言われて違和感のあった言葉です。

「本当にがんなの?」
「本当なんですよ。ウソだったらいいんですけどねぇ。あはは…(苦笑い)」

(心の声)ええ、私だってこれがウソであって欲しい、夢であって欲しい、と何度思ったかわからないってーの。でも、本当なんです。第一そんなウソ、つくわけないでしょ?そんなに信じられないのなら、担当医の先生でもご紹介しましょうか?ええ、ええ、間違いなく、が ん な ん で す けど何か?

「がんには見えないね」
「そうかもしれませんねぇ。それに、がんといっても症状はいろいろですから~。あはは…(苦笑い)」

(心の声)だから、何?もっと弱っていると思った?それって、がんの認識間違ってるからーー。確かに痛みもないし、激痩せしてるわけでもないけど、精神的には結構キツイのよ。それでも、元気でいなくちゃ負けちゃうって思ってやっているだけで、心の中はまだぐちゃぐちゃだし夫も私もすっげー葛藤してんだよーー。表に出さないだけ、でね。

すみません、取り乱しました…(笑)
自分でも、当時は神経がピリピリしていたと思います。だから、些細なことも敏感に受け取ってしまうのでしょう。人に伝えるということは、こういうことにも対処することなんだ、と改めて認識しました。それに、お気付きかもしれませんが、私は結構カチンカチンくるタイプ。血気盛んな若い頃は怒りの沸点が低くて、それに比べたら「ずいぶん丸くなったね」なんて言われますが、表面でヘラヘラしながら心の中ではこんな毒も吐いていました。でなければ、正直やっていられません。

でも、怒った後って疲れませんか?また、凹んでいるときはエネルギーがだだ漏れするというか…力が沸かないというか。
負の感情のエネルギー消耗度といったらもう……病院から帰ってぐったりすることもありました。私もなんやかんやいっても50代、充電するにも時間がかかるようになりました。で、ふと気付くのです。こんなことに大事なエネルギーを使うのは損だな、と。そんなどうでもいいことにエネルギーを使うなら、本来使うべきことにエネルギーを使おう、と。ああ、エネルギーの無駄遣い。ああ、もったいないことした、と。

そう考えていくと、バカバカしく思えてくるから不思議なものです。もちろん感情なので、思うようにならないことだってあります。負の感情が溜まってくることもあります。そんなとき、私はひたすら独り言をつぶやいていました。病院から帰る道すがら、部屋の中、お風呂の中……誰もいないのにブツブツと。ちょっと(いえ、かなり?)危ない人物です(笑)でも、心にずっとしまっているよりも、実際口に出して吐き出してしまった方が後を引きません。心の中もデトックスしてスッキリしないと、身がもちませーん。

そんなことを続けていくとカチンと来る回数も減ってきて、「あはは…(また言われちゃった。でも、もう慣れたもんね)」→心の中でポイッ!と即捨て、以上!と割りきれるようになってきました。といっても、こうして書けるということは心の奥底で根にもっているのかもしれませんけれども…。そして、この言葉シリーズは続くのですけれども…ふふふ(笑)