7.手術当日、お姑さんの強さを見て知るそれぞれの役割

手術当日は、お義母さんとお義兄さんが田舎から出てきてくれました。
4月1日10時~手術でしたので9時に直接病院で…という段取りでしたが、8時前に携帯が鳴って「もう着いたよ」……ええええ!?着の身着のまま大慌てで私も病院にダッシュです。こういうとき病院が近いと、助かります。

夫が無口ということはすでにお話ししてきましたが、お義母さんもお義兄さんも口数は多くない人。そこにいた誰もが心配で仕方なかったのでしょうが、シーンと静まり返っているのも居心地が悪いものです。ふと夫の足元を見ると、血栓症を予防するため医療用の弾性ストッキングを履いていました。

「ぷっ!バレリーナみたいな脚だし」「しょうがないじゃん。コレ履いてみ?かなりキツイんだから」「ごめんごめん。これも貴重な経験ってことで…でも、ウケる。ちょっと写真…」「やめろー」「いいじゃん。お願い、1枚だけ」「やーめーろー」なんてフザケている間に、看護師さんが迎えに来ました。ああ、こういうときでもフザケちゃう私って一体…。

「よし。じゃあ、行ってくるか」自分で自分を奮い立たせようとつぶやく夫の手を取って、「はい、お義母さんからパワー注入」「はい、お義兄ちゃんからもパワー注入」と手を握っていただきました。そうでもしないと、母と息子が、兄と弟が手を握る機会ってないですものね。私はいつも病院から帰るときと同じようにグーを出して「ぜってー、負けねえ」、「ぜってー、帰ってくる」と夫のグーとカチンと合わせて見送りました。(※EXILE大好きな私たちのお決まり挨拶です)

そこからの約4時間はとても長かったです。手術中は途中で何かあったときのために、誰か一人は必ず院内に待機しなければなりません。腰の悪いお義母さんは長時間座っていられないため、お義母さんのことはお義兄さんにお願いして私が残ることにしました。といっても、飲み物以外ノドを通らないし、スマホの画面も持参した本の文字も全く頭に入ってきません。「こっちがエコノミー症候群になりそうだわ」と思いながらも、ただひたすら待合室でじーーーっと座ったまま心ここにあらず、な状態でした。

名前を呼ばれて、手術室に連れて行っていただいたのが13時半過ぎくらい。少し前に夫を見送った扉の向こう側は冷んやりしていて、「へえ~、ここが手術室か」とキョロキョロしていると(←緊張していても、ヘンな余裕もある私の謎行動!?)手術を終えたばかりの先生がやって来ました。「もうすぐ麻酔から覚めると思いますが、手術は成功です。癒着もなかったし、腹膜播種もみられませんでしたので、予定通り腹腔鏡のみでいけましたよ」…先生の言葉にふっと肩の力が抜けました。

リカバリールームに戻ってきた夫は麻酔でまだぼんやりしていましたが、「お帰りなさい。手術は成功だって。やったね、お疲れさま♪」の声掛けにピースサインで答えていました。そして、病室に戻ってきたお義母さんは言葉にこそ出しませんが、「よかった、よかった」と語りかけるように夫の手をずっと撫でている姿に涙が出そうになった私は、「買い物に行ってくるね」と病室を抜け出しました。母は強し、と思った瞬間で、親子水入らずの貴重な時間。ここはお義母さんにお願いして、外の空気を吸いに行きました。

お姑さんと嫁の関係って、世間ではいろいろと難しいといわれます。私の場合は次男の嫁という立場で、しかも離れて暮らしていることもあって比較的良い関係を築けている方だと思います。しかし、今でこそこんな話ができますが、実は結婚10年目くらいのときにあることがきっかけで夫の実家と5年くらい疎遠になっていた期間があります。お義父さんの病気を境に関係を修復できたのですが、このとき初めてお義母さんとぶっちゃけトークをしました。フタを開けてみれば何てことなく、「な~んだ、もっと早く話していれば良かったよね」という明らかなコミュニケーション不足。亭主関白なおウチだったので、お義母さんと話す機会が少なかっただけだったんです。

そこからは、お義母さんもぶっちゃけるし、私もぶっちゃける。今でも実家へ行ったら、時間を忘れるくらい延々とおしゃべりできる関係でいられるのは有難いことで、「あのとき修復できていなかったら、どうなっていたのだろう」と考えることがあります。悲しい出来事でしたが、きっかけをつくってくれたお義父さんに感謝。「話してみればいいじゃん」と間を取り持ってくれた夫にも感謝です。

それに、いくつになっても母は母。どう頑張ったところでお義母さんの代わりはできないですし、子供のいない私は親としての気持ちを想像できても100%理解することはできません。逆も同じで、お義母さんが私の代わりをすることはできないでしょう。違っていて当たり前だし、それぞれがそれぞれの立場でできること、思うことがあるのもごくごく自然な話。もちろん、その領域にズカズカと土足で踏み込まないのはお約束で、最低限のルール。それが適度な距離、なのかもしれません。

そこさえ守ってさえいれば、ありのままの自分でいいと思うのです。「私が、私が」と出しゃばる必要もないし、「私なんて」と悲観する必要もない。大ヒットした歌ではないですが、「ありの~ままの~姿見せるのよ~♪」そんな気持ち。だから、私がいつものようにフザケて、少しでもその場が和んで笑ってくれたら本望。笑う門には福来るっていうでしょ?いくらでも笑わせまっせ♪という思いは、今も変わりません(笑)

といっても、なかには「私が、私が」と距離感のわからない困ったさんがいることも事実。私の友達やお世話になっている奥様も、ご主人が大変なときにこの手のタイプにやられて参った、という話を聞いています。どこにでもいるんです、そういう人が。こういう人への対処については改めて別の機会に書こうと思いますが、心の底から「逃げてーーー!」と言いたいです。ちなみに私は……逃げました(笑)ただでさえ疲れる相手なのに、よりによってなぜ今?マジ勘弁して。こっちはそれどころじゃないんです、とシャッターガラガラです。

さて、お腹に1cmくらいの小さな穴を5箇所(確か…)開けた夫は、その後の傷口の状態も順調で翌日には一般病棟に戻って歩かされます。これが結構辛いらしく、寝返りするにも起き上がるにも全て腹筋を使うため「ッ……アタタ…」となってしまいます。ベッドから立ち上がるのにも腹筋、座るのも腹筋、咳やくしゃみをするにも腹筋…人間の体は無意識のうちに腹筋を使っているのですよね…。

6.食事ができるようになるための胃空調バイパス手術

夫のケースは、手術不可能&十二指腸に浸潤しているので放射線治療も不可能&肝転移アリでしたので、やれることといえば化学療法のみ。でも、その目的はがんの進行を少しでも遅らせることです。が、抗がん剤をやるにも体力が必要で、食事が摂れないことには次のステップに進めません。(夫の詳しい症状はコチラをどうぞ)

B大学病院から出戻った夫に対して、担当医の先生はすぐに胃と腸をつなげるバイパス手術を準備してくださっていました。この先生はやることなすことすべてが早く、このスピード感も私たちが気に入っていたことのひとつ。ですが、出戻り翌日に手術というのはさすがに驚きました。聞くと、「だって、B大学病院の手術予定日が4月1日だったでしょ?だから、同じ日に突っ込んじゃいましたから(キリッ)」……突っ込んじゃいましたって、そんな簡単に手術って入れられるの?と思いつつも、1日でも早くゴハンを食べたい夫としては有難いことこのうえなしです。

夫が受けた手術の正式名称は、「腹腔鏡補助下胃空調バイパス手術」というもの。
大量出血の原因となった十二指腸の腫瘍部分に食べ物を通さないために、腹腔鏡によって胃と腸をダイレクトに繋ぎあわせる手術です。夜には手術そのものの説明やリスクの他にも、次のような説明を受けました。

・予定は腹腔鏡下でも、癒着など実際の所見次第では開腹術に切り替えることもあること。
・現段階では胆管の詰まりは大丈夫そうだけれども、すい臓がんは胆管が詰まりやすい。状態によって、胆管と腸をつなげる必要がある場合(胆管空腸吻合)はお腹を開ける。
などなど。

こちらは手術説明・同意書(患者控え)の裏なのですが、先生が説明しながらボールペンでパパッと描いてくださったもの。

がん告知のときもそうでしたが、この先生は説明が丁寧でわかりやすい。それに、絵が上手い。以前、何かの記事で「腕のいい外科医は絵が上手い」という内容を読んで目からウロコだったことを思い出し、先生への期待感が高まったのは言うまでもありません。

といっても、私たちはど素人です。特に、今回の夫のことに関しては「納得できるまで何でも聞く」と私自身が決めていましたので、素人なりでも自分で調べて疑問に思ったことはどんなことでも手帳にメモしたり、調べてもわからないことはプリントアウトしていつでも質問できるように準備もしていました。

それに、折しもこの時期は群大の腹腔鏡手術のことがニュースで話題になっていたとき。今回の手術を調べてみると、難易度は低いようですし、やっぱり開腹手術はできるだけ避けたい。といってもご時世的に、「腹腔鏡」というだけでビビッてしまうのも素人ゆえの心理。黙っていられない私の性格上、こんなことまで聞いてしまいました。

「あのー、ぶっちゃけ腹腔鏡ってリスク高いのですか?」
「リスクは手術の内容によって違いますね。ご主人の場合はよくある手術のひとつですし、危険なものではないですよ。また、どうして?(奥さん、いろいろ調べてわかってるでしょう?的なニュアンス)」
「ええ、一応私も調べて理解してみたのですが、今騒がれている群大の件があるし気になっちゃって…」
「あ~、アレね。はははは、ご主人のとは全く別。まぁ、心配しちゃう気持ちはわかりますし、どんな手術でもリスクなしというのはないわけで。でも、今回のはウチの病院でも症例数は多いし、心配しなくて大丈夫!」
「それを聞いて安心しました。いえね、腹腔鏡=危険という報道ばかり目にしてつい。あはは、すみませーん。変なこと聞いちゃって…。」
「いえいえ、少しでも不安なことがあったら何でもどうぞ。はい(o^―^o)」

思い返せば、我ながらずいぶんバカで失礼な質問をしたな、と思います(笑)でも、このときは真剣だったのも事実で、ちょっとしたモヤモヤもクリアにしたいという気持ちの方が勝っていました。この先生だからこそ話しやすかったというのもありますが、「こんなことを聞いたら怒られるかな?」「こんなことを聞いたらバカだと思われるかな?」という気持ちよりも「わからないので教えてください」という気持ち。

見方によっては、“面倒な患者家族”だったかもしれません。でも、心のどこかで「たとえ小うるさいと思われても、私が思われる分にはどうでもいいや」という開き直り(?)もあった気がします。その一方で、相手の時間を使って教えていただくからには自分もちゃんと調べて少しでも知識を増やす、ということも心がけました。もちろん、知ったかぶりをする気はさらさらなくて、あくまでも夫のすい臓がん対策プロジェクトに「参加させていただく」という姿勢が基本。そんな私に快く応えてくださった担当医の先生には、心から感謝しています。

さあ、約1カ月近く続いた絶食ももうすぐ終わり。痛い思いはしちゃうけれども、もうすぐ…もうすぐだからね。そして、「どうか明日の手術が、腹腔鏡だけで済んで開腹になりませんように…」と祈ることしかできませんでした。

5.「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき

がんのことを周囲に知らせると、周りの方々はいろいろな声をかけてくださいます。
その多くは励みになったり、「ガンバロ!」と前向きな気持ちにさせていただける有難い言葉なのですが、ときにはその言葉によって傷付いたり腹が立つこともたま~にあります。相手の立場を考えてみれば、何の気なしに出てしまっただけで、言ったことも忘れてしまうくらい日常的なこと。悪気なんて全くない、ということもすっごーーくわかります。だからこそ、「え?」と思っても、無難な対応してその場をやり過ごそうとします。

それに、私も夫のことがなければ、無意識という名の免罪符のもと誰かを傷付けている(いた)のかもしれません。一度出してしまった言葉は、「なかったことに」できないですからね。だからこそ、言葉って本当に難しい…。といっても、「みんなー、がんだから気を遣ってね~」とか「言葉には、くれぐれも注意してね~」なんていう気はこれっぽちもありません。

どちらかというと、当事者だからこそ通じる「あるある話」。「なんだ、自分だけじゃないのね」と思って心を楽にしていただけたらいいな、と思います。なので、私が実際に言われて「はい?(は?ケンカ売ってんのか?)」「キツイなぁ、それ」「どうしてそういう言い方するかなぁ」と感じた言葉を小出しに挙げていこうと思いますが、まずは「本当にがんなの?」「がんには見えないね」と言われたとき。さすがに、夫に直接言っているのは見ていないです(知らないだけかもしれませんが…)が、私は何人かに言われて違和感のあった言葉です。

「本当にがんなの?」
「本当なんですよ。ウソだったらいいんですけどねぇ。あはは…(苦笑い)」

(心の声)ええ、私だってこれがウソであって欲しい、夢であって欲しい、と何度思ったかわからないってーの。でも、本当なんです。第一そんなウソ、つくわけないでしょ?そんなに信じられないのなら、担当医の先生でもご紹介しましょうか?ええ、ええ、間違いなく、が ん な ん で す けど何か?

「がんには見えないね」
「そうかもしれませんねぇ。それに、がんといっても症状はいろいろですから~。あはは…(苦笑い)」

(心の声)だから、何?もっと弱っていると思った?それって、がんの認識間違ってるからーー。確かに痛みもないし、激痩せしてるわけでもないけど、精神的には結構キツイのよ。それでも、元気でいなくちゃ負けちゃうって思ってやっているだけで、心の中はまだぐちゃぐちゃだし夫も私もすっげー葛藤してんだよーー。表に出さないだけ、でね。

すみません、取り乱しました…(笑)
自分でも、当時は神経がピリピリしていたと思います。だから、些細なことも敏感に受け取ってしまうのでしょう。人に伝えるということは、こういうことにも対処することなんだ、と改めて認識しました。それに、お気付きかもしれませんが、私は結構カチンカチンくるタイプ。血気盛んな若い頃は怒りの沸点が低くて、それに比べたら「ずいぶん丸くなったね」なんて言われますが、表面でヘラヘラしながら心の中ではこんな毒も吐いていました。でなければ、正直やっていられません。

でも、怒った後って疲れませんか?また、凹んでいるときはエネルギーがだだ漏れするというか…力が沸かないというか。
負の感情のエネルギー消耗度といったらもう……病院から帰ってぐったりすることもありました。私もなんやかんやいっても50代、充電するにも時間がかかるようになりました。で、ふと気付くのです。こんなことに大事なエネルギーを使うのは損だな、と。そんなどうでもいいことにエネルギーを使うなら、本来使うべきことにエネルギーを使おう、と。ああ、エネルギーの無駄遣い。ああ、もったいないことした、と。

そう考えていくと、バカバカしく思えてくるから不思議なものです。もちろん感情なので、思うようにならないことだってあります。負の感情が溜まってくることもあります。そんなとき、私はひたすら独り言をつぶやいていました。病院から帰る道すがら、部屋の中、お風呂の中……誰もいないのにブツブツと。ちょっと(いえ、かなり?)危ない人物です(笑)でも、心にずっとしまっているよりも、実際口に出して吐き出してしまった方が後を引きません。心の中もデトックスしてスッキリしないと、身がもちませーん。

そんなことを続けていくとカチンと来る回数も減ってきて、「あはは…(また言われちゃった。でも、もう慣れたもんね)」→心の中でポイッ!と即捨て、以上!と割りきれるようになってきました。といっても、こうして書けるということは心の奥底で根にもっているのかもしれませんけれども…。そして、この言葉シリーズは続くのですけれども…ふふふ(笑)

4.がんのことを職場や友達にどこまで報告する?

家族が病気になると、周りの人たちに報告することも家族の役目。
といっても、誰にどこまでのことを伝えたらいいのか……うむむ、どうしよう。

いくら2人にひとりががんになる時代といっても、聞いた相手は動揺してしまうでしょう。ましてや、「すい臓がん ステージ4b」。がんの知識が全くない人でも、想像力をかきたてるくらいセンセーショナルな言葉の響きです。
それに、夫は「男は黙ってサッポロビール(例えが古い)」なタイプで、「大騒ぎにしたくないんだよなぁ」と言います。ええ、私もできれば大袈裟にしたくないです。でも、ずっと内緒にしておくわけにもいかないのですわ……。

まずは、身内。
本当なら一番にお義母さんに伝えなければいけないのでしょうが、1年前に大きな手術をしたこともあってちょっと心配。日常生活はおくれるようになったものの万全とはいえず、身体のことを考えると伝えるタイミングを慎重にしなければ…。ですので、まずは実家で敷地内同居をしているお義兄さんに連絡しました。やはり「今すぐには言えないなぁ。タイミングを見て俺から話すよ」とのことで、義弟くんや親戚への連絡も含めてお義兄さんに全てお願いすることにしました。
一方、私の母は83歳と高齢ですが、元看護師ということもあって医療知識皆無な私にとって心強い存在です。時代は違っても、人体のメカニズムは変わりません。母には、すぐに連絡を入れました。

職場には、さすがに内緒というわけにはいきませんから、お店のオーナーには報告をしていました。オーナーの方も電話の向こうで言葉を失い固まってしまうほど、その衝撃の大きさは伝わってきていて「どこまでメンバーに話していいのか…」という状態。
ですよねぇ。どこまで情報開示するか……早急に夫と話し合わなければいけません。

そして、夫の友人や仲間の皆さんのこと。
私自身、夫の交友関係を全て把握しているか?といったら、お互い様とはいえかなり怪しいもの。しかも、飲食業界は一般的なサラリーマン以上に横のつながりが多い業界。入院によって余儀なく休職ともなれば、「どうした?」「何があった?」「なんだか、○○らしいよ」と噂が噂を呼び、広がってしまうのも時間の問題で避けられないでしょう。人の口に戸をたてられませんしね。それに、聞かれた側(お店のオーナー)もどう答えていいか困ってしまいます。なので、、、

ええーい、全部話してしまえ!
という結論に至りました。

「聞いて聞いてー」と宣伝するつもりは毛頭ないですが、内緒にしておくことで周りの憶測や詮索が正直めんどくさい(そこ?)。入院中ですから携帯に電話してくる人は少ないですが、メールやLINEなど「ある意味便利、ある意味面倒なツール」もある世の中。心配してくださる気持ちは有難いのですが、そう頻繁にピロピロ鳴られても……ねぇ(汗)ごくごく普通の一般ピーですらカタチは違えどこうなるのですから、マスコミにイチイチ張られてしまう芸能人の方は本当にお気の毒…。海老蔵さんが奥様のことで記者会見したお気持ちも、何となくわかる気がします。

幸い夫の場合は、「自分が窓口になるから」と言ってくださった友達がいてくれたので助かりました。彼は夫と20代の頃からの友人で、毎月ゴルフにも行っていた仲。同じ飲食業界ですし、私以上に夫の交友関係を知っている人です。もうひとり、出会いのきっかけはお店のお客様ですが、毎月のゴルフに行くくらい仲良くしていただいた方。仲良しゴルフトリオのおふたりには家族と同じように全てを伝えて、そこから先の連絡はお願いしました。そして、「もし聞かれたら、全部話してくださって構いません」ということも。

がんになったことを周りに伝えることでガンバロウと思える人、家族のみ共有することで穏やかに向き合える人、めんどくさいから話しちゃえという私たちみたいな人(笑)、いろいろなケースがあると思います。これも人それぞれ…と「それじゃあ、参考にならないよ」という話になってしまいますが、できるだけ負担やストレスにならない方法を選びたいものです。

当初の私は、夫婦ふたりだけというのもあって「全部私がやらなくては!」という気持ちが強かったです。でも、自分ひとりができる範囲なんて限られているんですよね。だから、抱え込まないようにして、周りの方々に甘えさせていただくことにしました。それは、私の友達にもいえていて、ずいぶんと愚痴を聞いてもらったり、背中を押してもらったり、アドバイスしてもらったり…と支えていただきました。特に私は、すぐ一杯一杯になってしまうタイプなのでなおのこと。個人的には、周りに話したことで救われている私がいました。

3.「ん?何かヘンかも?」と思ったときは仕切り直しのチャンス

晴れて希望したB大学病院では胃と腸をつなぐ手術の日も決まり、それに合わせて夫は転院することになりました。

大学病院が忙しいのは百も承知しています。私が通っていた時も、待ち時間半日、診察10分なんてのはザラで、患者数が多いものねと理解していました。が、それにしても転院初日に暗くなっても担当医が顔を出さないというのは大学病院では普通なのでしょうか?
「お手すきのときにお話ししたいので…」とお願いしていても、です。きっとお手すきじゃないのだろうと100歩譲って我慢していましたが、一事が万事この状態は不安だなぁと思っていました。

この不安が決定的となったのは、手術の説明を受けたとき。
「えぇっと、ご主人様の場合はこのように開腹いたしまして、ここに腸ろうを着ける手術を行います。」…担当医という医師は、慣れていないのか自信なさそうな口調で、縦線2本(=胴みたいです)の真ん中に真っすぐ線を書いていきます。(なんじゃそら?幼稚園児だってもう少しまともな絵が描けるだろう)と思いながら、「は?開腹手術?前の病院では、体力温存を優先して腹腔鏡術でと伺っていましたが…こちらの病院では無理なのですか?」と聞くと、「がんの末期ですので、腹膜に転移しているかどうか確認するためです。」とのこと。

私「お腹開けたら体力消耗しちゃいませんか?ただでさえ、1カ月近く絶食ですし。それに、もし腹膜に転移していなかったら?」
担医「でも、末期がんですので念のために。」
私(念のためって何?さっきから答えになってないし。大丈夫?この人)「えぇっと、そしたらこの腸ろうはどういう意味が?」
担医「将来、食事ができなくなったときのためとして、今のうちに念のため。」
私(また、念のためかよ。念のためでイチイチお腹を開けるって勘弁してよ)「いえいえ、そもそもなんですけどね。私たちは、まず食事ができるようになりたいんです。そのためのバイパス手術であって、がんについては次の段階として考えていて…」

すると、担当医より少し後ろの位置に座っている先輩らしき医師が
先医「あの、ご主人様は手術しても食べられるようになるとは限りませんよ。」
私「はい?手術しても食べられないんですか?」
先医「ええ、その可能性もあるということです。ご主人様は末期ですから。」
私「食べられなければ、がんの治療はどうなんですか?難しくなるのでは?」
先医「そうなることもありますよねぇ。末期ですしね。」

…ていうかさぁ、さっきから聞いていれば、本人を目の前にして
末期、末期って、うるせーーーよっ!
こっちは、これから頑張ろうと思ってるんだよっ!
言葉にこそ出しませんでしたが、ブッチーンと切れました。
もういい。この人たちと話をすればするだけ、隣で聞いている夫を傷付け絶望させてしまうことになるのでこれ以上話したくもありません。

もちろん、この手術に同意できるわけもなく「サインはできません」とお断り。こちらからお願いしておきながらお断りとは、前代未聞かもしれませんが、譲れないものは譲れない。体力にも影響する手術だけに、納得できないことへのサインはできません。それに、末期だから何やっても無駄的な口ぶりだし言葉に「心」がまったく見られない、と感じるのは私だけでしょうか?こういう世の中ですから、リスクヘッジしたいこともわかります。でも、医師自らが患者に絶望感を与えるような発言は本末転倒。明らかなコミュニケーション不足を痛感しました。

そして、私たちは病室に戻って「この先、どうするか?」を話し合いました。が、夫は「もうなんだっていいよ……」と投げやりです。ああぁ、いわんこっちゃない。でも、こういうときこそ家族の出番!?ここは私自身も冷静にならないとイケマセン。
いやいやいや、気持ちはわかるけれども、そこはちゃんと向き合おうよ。体裁も何も関係ないし、そんなのどうにでもなるし、今ならまだ間に合う。大袈裟な言い方だけど、「さっきの先生に、自分の命を預けられる?どの先生なら、信じられる?」…その視点で考えよう。
出した結論は「早くここを出て戻ろう」。……私は翌朝すぐに、A病院に戻るための転院手続きを進めました。

ちなみに、ちょうどその頃病室では週1回行われる院長様回診があったそうです。『白い巨塔』のシーンさながらの大名行列といったところでしょうか。面会時間外ですので、私は残念ながらそのシーンを拝見できなかったのですが、、、

院「どうですか?食事は摂れていますか?」
夫(は?何言っちゃってるの?)「いえ、絶食中ですけど…」
院「そうですか。食べられなくなっちゃったかなぁ?」
夫(アホか?わかってないにもほどがある。というか、カルテも見てないの?)「…………」
チーン!
ええっと、この院長様って確か外科の教授様でもありましたよね?何、このトンチンカンなやりとり。あまりにも間抜けすぎて、『白い巨塔』の財前五郎もお嘆きでしょう。

また、同じ日の午後、私は准教授様という医師から「キャンセルする理由を聞きたい」と呼び出されました。私も一応大人ですから、こちらから希望しておきながらという点は丁重にお詫びしました。準備もしてくださったことでしょうし、受け入れてくれたことについては感謝を示したうえで、手術辞退と戻りたい理由を洗いざらい話しました。
そして、話の流れで「余命は伝えていない」と言ったところ、「今朝、院長回診でご主人様にお会いしましたが、しっかりと受け止められる方だとお見受けしましたよ。そういう方に、余命を伝えないのはご本人のためになりません。伝えた方がいいですよ。」とご丁寧にアドバイスまでいただいてしまい、私は苦笑するしかありませんでした。うわーん、ダメだ、こりゃ。

えっと、わずか5分もいないのに?しかも、直接会話をしていないのに?一体夫の何がわかるというのでしょうか?あなたは、透視能力でもお持ちなのでしょうか?……突っ込んでみたい気持ちもありましたが、こういう人と話していること自体時間の無駄。こういう感覚の上司だから、ああいう部下が育ってしまうのも仕方がないのかもしれないですね。お気の毒、とさえ思えてきました。

そうはいっても、現実を突きつけられた、という思いもありました。もちろん、大学病院すべてがそうだと決めつける気はありませんし、批判する気もありません。こちらの大学病院にも、気持ちの通じる医師はいらっしゃるのだろうと思います(そう思いたいです)。今回のケースは、私たちと相性が合わなかっただけ、なのだと思います。
でも、これで「大学病院に行っていれば…」も「吉方位に行っていたら…」という迷いもすっきり。大学病院押しの義兄にも納得していただき、大手を振っての出戻りとなりました。

がんに限らず大きな病気になると、どの病院に行こう?と迷う方は多いと思います。でも、それ以上に大事なのは「どんな医師」に診ていただくか?で、「相性が合うor合わない」は患者本人はもちろん家族にとっても大きいと実感しました。
それに、戻れる病院があった私たちはむしろラッキーな方。ですから、安易に「嫌だったら我慢しないで、とっとと病院を変えた方がいいよ。」なんてことを言うつもりはありません。それも縁だったり、タイミングだったり、いろいろな条件があってこそ。

ただ、疑心暗鬼のまま物事を進めるのは後悔や迷いに繋がってしまいますし、大事なことさえ見失ってしまう危険性があるような気がするのです。心の中で「ん?」「おかしいのでは?」という違和感があるときこそ、一度立ち止まってみることも必要。ピンチ!と思ったことが、実はいろいろなことを考えるきっかけになることだってあります。なので、仕切り直し上等!なのです(笑)

2.どうする?入院している病院がまさかの凶方向

病院を選ぶとき、方角(気学)などを気にしますか?
※「そんなの迷信だよ」「気にならない」という方は、ここをスルーしていただく方がいいかもしれません。

私たちはどちらかというと信心深い方で、“目に見えない力”も信じるタイプ。でも、「そりゃあ、悪い方向よりも良い方向の方がいいよね。でも、悪い方向を避けたいと思ってもそういかない現実もあるし、全部を気にしていたらキリがない。」とゆる~い系。引っ越しなど大きな節目や転機のときは専門の先生にみていただいて物件を探しますが、病院となるとそう都合よくあるとは限りません。でも、今回は我が家の一大事。だからこそ、私たちは気になっていました。

もちろん救急車で運ばれたときはそんな考えも及ばず、カルテがある&自宅から一番近い、という点で地域の中核病院であるA病院に搬送されました。このA病院は以前某大学病院で、そこが数年前に撤退して新たな病院となったわけですが(調べたらわかっちゃうかもしれませんね…汗)、私は大学病院時代にとても腹立たしい思いをした経験があります。

といっても、病院の母体も組織もすべて入れ替わっていますし、担当医の先生は説明が丁寧でウマが合うというのでしょうか…とても話しやすい先生。特に不満はなかったのですが、どうしても大学病院時代のイメージが拭えません(頭でわかっていても気持ち的に)。そして、近くにあるB大学病院のことも気になっていました。…というのも、どこの病院へ行ってもわからなかった私のある病気が、この病院で明らかになったということがあったため。受診した科は違いますが、大学病院だったらもっと画期的な治療法があるのかもしれない、という期待もありました。

それに、都内にはがん専門の有名病院もあります。自宅から少し遠くても、セカンドオピニオンも受けてみたい。毎日ネットで検索しては、病院の情報を集めてリストアップしていきました。そして、これと同時進行でやったのが方角をみていただく、ということだったのです。

その結果、、、
・入院しているA病院・・・暗剣殺
・行きたいと思っているB大学病院・・・2番目にいい吉方位

よりによって暗剣殺とは…思いっきり凶方位って。がーーん!
こうなると、ますますB大学病院に行きたくなってしまいます。でも、担当医の先生に何て言おう…いい先生だけに、さすがに言いにくい。でも、先生に不満があると思われるのは不本意なので、思い切ってありのままを伝えました。ただし、「方角にうるさい親族がいる」という建て前で……(ごめんなさい)

「わかりました。では、B大学病院が受け入れ可能かどうか次第ですが、私は早速紹介状を作りましょう。」……非科学的な理由にふふんと鼻で笑われるかと思いきや、あっさり快諾。「本当に申し訳ありません!たかだか方角ごときでお手数をおかけしてしまい……先生には何の不満もなく、先生に診ていただきたいのはやまやまで」とあれこれ弁解する私に(これも本音ですが)、「いえいえ、方角を気にされる方もいますし、私のことはまったく気にしなくていいですよ。それより後で何かあったときに、方角通りにしなかったから、と奥さんが責められるでしょ?それも選択肢のひとつ。だから、気にしないように。」……まさか超理系の先生からこんな話をされるとは思ってもいなく、思わず涙が出ました。

その2日後には紹介状を手渡され(この先生は仕事も早いのです)、転院に際してのアドバイスやフォローもしていただき、夫はB大学病院に転院することが決まりました。このことを義兄に伝えると、「俺も言おうと思ってたんだよ。東京なら大学病院もたくさんあるし、大きいところの方がいいと思ってさ。でも、大学病院に移れるのなら良かった。」とのこと。

入院から3週間、冗談なども言い合えるくらい仲良くなった担当医の先生とお別れするのは本当に心苦しかったのですが、方角が最悪となれば仕方ありません。次のステップに向けて頑張っていこう!と思っていた私たちを待ち受けていたものは……。
これほどまで主治医の先生にお力をいただき、こちらから希望したB大学病院への転院。しかし、わずか3泊4日しただけでA病院に戻ることになります。(この内容は別ページで書きます。)

方角については賛否両論いろいろなご意見があるでしょうし、実際に私たちも一度は方位を頼りに動きました。でも、方位はあくまでも目安で、いろいろな視点で物事を判断することの方がもっと大切だと痛感しました。もちろん転院したからこそわかったことも多くあって、少し遠回りをしたかもしれませんが、この経験は無駄じゃなかったと思っています。もし、あのとき転院自体をあきらめていたら「やっぱり暗剣殺だったから?…」「大学病院に行っていたらどうだった?」という思いにずっと捕われていたかもしれません。

私たちにとってのきっかけは方角でしたが、「行ってみたい」「やってみたい」と思うことは後回ししないで、可能な限り行動してみることが大事。そこからまた判断していけばいいのかなぁ、と思うのです。でも、これを読んで「試しに病院の方角を調べてみよう」などと思わないでくださいね。この部分を追求していくと、はっきりいって結構面倒です。くれぐれもご注意ください。

1.本人へのがん告知はどこまで?

がんがわかると、家族は先生から聞かれます。「ご本人にどこまで伝えますか?」と…。
早くも選択をしなければいけない現状を突きつけられます。

数年前、私たちの友人ががんでお亡くなりになった際、夫は「もしがんになったら、俺は全部知りたい」と言っていました。私も全部知りたい派。そのときは、「包み隠さず、全部伝えよう」とお互いに約束していました。
そうはいっても、何もしなければ「余命半年」という内容はヘビーです。いくら冷静沈着な夫でも、さすがに受け止めるには大きいのでは?…いやいや、そもそも全部って何?そこに、余命宣告は含まれているんだっけ?…でも、余命ってあくまでもデータだよね?データも大事だけど、そんな未来予測って意味ある?……頭の中が「?」だらけになります。

ちなみに、実父のとき(28年前)は誤診の末での発覚でしたので、がんということも伝えず内緒を貫きました。
義父の場合(7年前)、家族は「がんということも伝えたくない」と全員一致でしたが、担当医という人が「それでは、緩和ケアを行う上で支障が出る。患者さんになぜ治療をしないんだ?と聞かれたら、私はどうしたらいいのですか?信頼関係が失われて…」とグダグダ駄々をこねまして、義母も義兄も告知することに渋々承知しました。
正直「この医者はバカか!?」と思いました。「どうしたらいいって、それを家族に言っちゃう?そのくらい上手くかわすこともできないの?アホか!」と断固阻止したかったですが、私は次男の嫁という立場。義母と義兄がOKした以上、そこで口を挟むのはいかがなものかと従いました。そして、「末期の大腸がんで余命3カ月」と言われた義父は、その2週間後に旅立ってしまいました。

そんなこともあったからでしょうか。私は、とっさに「余命以外すべてを…」と答えていました。
まずは、先生から「事実」を伝えていただこう、と。そのうえで、本人が知りたいと思ったら聞くだろうし、知りたくないとしたら聞かないだろうし、そこは夫に委ねようと思いました。

というのも、私たち夫婦は子供に恵まれず、ずいぶん昔に病院を受診するかどうかで話し合ったことがあります。そのとき夫は、「もし俺に原因があるとわかったら、その事実を一生抱えられる自信はない。物事には白黒はっきりさせることが必要なこともあるけど、グレーはグレーのままでいいこともあると思うよ。」と言いました。結果として病院に行かず現在に至っているわけですが、この余命も彼にとってグレーゾーンかもしれない、と思ったからです。

残りの人生、やりたいことするためにも余命宣告をした方がいい…という意見もわかります。
でも、こればかりは正解は存在しなくてケースバイケースなんだろうな、と思います。本人の性格、行動パターン、物事に対する考え方や対処の仕方などによってそれぞれ違うと思いますし、違っていて当たり前。みんなそれぞれ違うのです。本人が知りたくないと思っていることを伝えるのは、周りのエゴでしかないのでは?と思います。

しかし、後で詳しい内容を書きますが、「余命宣告をしないのは本人のためになりません。伝えた方がいいですよ。」とご丁寧に勧める医師がいることも事実(実際に私は言われました)。幸い夫の担当医の先生は、「自分の立場では決められません。ご本人様を一番よく知っているのはご家族ですから」と言ってくださったので助かりましたが、デリケートなことだけに慎重に選びたいものです。

もちろん余命宣告を否定しているのではありません。もし私なら、間違いなく「で、私はいつまで?」と聞くでしょうから…。正解はコレ!それは間違い!というマニュアルがあって、それに従えたらどんなに楽でしょう。でも、マニュアル通りにいかないのが人生。だからこそ、たくさん悩んで、いろいろ迷い考えながら選択していくのではないでしょうか。

案の定、夫は先生の説明を一通り聞いて「何か質問はありますか?」の問いかけに「別に何もありません。」ときっぱり。ああ、やっぱりな、と思いました。でも、結構鋭い夫でもあったので、「そこまでの症状で余命について言わないということは、そういうことね。ははーん、隠しているな。」と勘付いていたのかもしれません。それは、本人のみぞ知る、でしょう。

余命については結局最後まで話すことはありませんでしたが、夫が「やりたい」と言うことを可能な限り実現できるようにサポートしていこうと思いました。そして、私自身「データなんかに左右されてたまるものか!」と強く思ったのです。